暑い。
いや、熱いのか?
空気が、やけに、濃い。
汗だくで走る俺の後ろを、何人かの足音が追いかける。
先は、T字路。
右。いや、左か。
角を曲がって、俺は自分の選択が間違っていた事に気づく。
袋小路。
近付いて来る足音。
・・・・・・銃声。
目が覚めると、いつもの天井が見えた。窓の外は、まだ薄暗い。枕元の目覚し時計を手に取ると、もうじき4時を指す所だった。2時間も眠っていないらしい。明け方の空気に思わず身震いして初めて、背中に汗をびっしょりとかいている事に気がついた。
いつもの夢だ。
再びベットに戻る気にはとてもなれなくて、加持はバスルームで熱めのシャワーを浴びた。
A.D.2012. 9月。加持が、誰にも、何も告げずに大学を辞めて今の仕事に就いて、ちょうど5年が経とうとしている。学生時代にちょっと齧ったアルバイトの腕を見込まれて、この仕事にスカウトされた。
日本国政府 内閣調査室。それが、加持の職場だった。
汗を流して着替えると、さっきの出来事は確かに夢なのだ、と確認できるような気がする。冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを、ボトルから直接、飲んだ。
いつ頃からだろう?あんな夢を見るようになったのは。仕事を始めたばかりの頃は夢を見る余裕すらないほど、眠りはいつも短く、その分深かった。扱ってきた情報の性質柄、眠る事が命取りになりかねない状況も幾度となく経験してきた。
それでも、あんな夢を、繰り返し見ることはなかった。
追われる。選ぶ。誤る。追いつめられる。
そして、死。
何を今更怖れているんだ、俺は。
嘲笑が、朝の静寂の中に微かに溶けていく。夜明けの光は、曇ったナイフの刃のように、鈍く、靄のかかった色で加持の部屋の窓を照らし出した。
そしてまた、必ず、夜が来る。
追いかける足音。
必死で走る自分。
これは夢だ。解っている。でも、走らなければいけない。
いつものT字路が見える。
今日は、右か。それとも・・・・・・左か。
振り返ることはできない。一瞬でもスピードを緩めたら、それで終わりだ。
選択。―結果が解っていても。それでもどちらかを、選ばざるを得ないなら。
曲がる瞬間、目を閉じる。
解っている。この先には、ただ、壁が。
「加持!」
声が聞こえて。いつもの夢に突然現れた変化に、俺は驚いて、目を開ける。
そこには、
「葛城!」
自分の出した声の大きさに驚いて、目が覚める。ベットの上ではなく、デスクに突っ伏したまま眠っていたらしい。左腕が痺れているのは、枕代わりになっていたからのようだ。
「葛城、か・・・・・・。」
懐かしい、名前だ。
大学時代、一緒に暮らした女。陽気で、ガサツで、美人で、ズボラで。過去に傷を負って、癒えない傷口を隠すために、俺を遠ざけた。抱きしめようとした俺の手を、静かに拒絶した。16歳のあの日からどうでも良かった俺の人生に、もう一度、欲して止まない真実を投げてよこした、そんな女。
あいつの傷口に、少しでも近づけるなら。そのために、少しでも有利になるのなら。この仕事を始める時、一番に思ったのはその事だった。何も言わずに大学を辞めて、一度も連絡はしていない。彼女が 『 特務機関 ネルフ 』 にいる事は解っているが、どこで、どんな仕事をしているのか、全く知らない。
しかし、この5年の間、彼女は俺の頭の中を支配しつづけていた。
でも、何故?
今朝の夢を思い出す。いつもなら行き止まりのはずの路地に、彼女がいた。驚いた表情で、少し戸惑ったように。そしてあの頃と変わらない声で、俺の名を、呼んだ。
『加持、』と。
何かが変わるのだろうか。加持は漠然と、そう思う。いつもの夢に変化が現れたように。そしてそれは、葛城に、求める真実に近付くための変化だと、そういう事なのだろうか。
「オイオイ。・・・・・・夢占いか?」
自分で、自分の思考に苦笑する。そんな乙女チックなものでもあるまい。立ち上がって窓を開けると、夜明けの涼しい風が吹き込んできた。今日提出する報告書は昨夜のうちに何とか書き終えてある。キーボードを2つ、3つ叩くと、デスクの脇のプリンタが目を覚まし、動き出した。最初の一枚がきちんと印刷されたのを確認して、いつものようにシャワーを浴び、ミネラルウォーターを口にし、身支度を整えて、早朝のまだ混んでいない地下鉄に揺られ、オフィスへと向かった。
その時は、ミーティングを終えて部屋を出ようとした時に、訪れた。
「加持くん、少しお時間、よろしいかしら?」
直属の上司にあたる野添女史に呼び止められる。広い会議室に、二人。
「これは未だ決定案ではないわ。あくまでも、計画の段階。それを踏まえて聞いてもらいたいの。」
席を勧められ、向かい合って座る。野添女史がこういう風に話を切り出す時は、何らかの「ヤバイ仕事」である事が多い。自然と、聞く方も背筋が伸びる。
「単刀直入に、言わせてもらうわね。今手がけている仕事が終わり次第、あなたにやってもらいたい事は、・・・・・・ネルフの内偵。あなたの腕、それから、人脈を見込んでの人選よ。」
「人脈、と・・・・・・言うと?」
彼女の言わんとしている事は解っている。
「近い将来、ネルフのトップになるであろう二人・・・・・・、赤木リツコ、葛城ミサト。この二人とは、学生時代の友人だそうね?」
有効利用って訳か。加持は胸の中で呟く。
「ネルフに潜り込むのは容易な事ではないわ。準備を今すぐ始めても、実際にネルフの人間として動く事ができるまでには、2〜3年ほどの時間が必要よ。その準備はこちらでします。その間あなたには、待機してもらう事になる。どこで何をしていてもいい。その間の生活の保証もこちらでする。・・・・・・どう?決して、悪い条件ではないと思うのだけど。」
確かに。条件は非の打ち所が無い。ただ、美味しい話には裏がある。いつもの俺なら、間違いなく避けて通る道だ。
ただ、いつもと違うのは、そこに『ネルフ』があること。
そこに、『葛城ミサト』が存在すること。
T字路だ。
いつもと違う、夢の終わりがみたいなら。
「・・・・・・解りました。」
俺の答えは、一つだ。
加持と、大学中退後に彼に関わった人間のパーソナル・データは書き換えられ、様々な準備が整い、ネルフ職員として正式に動き出すまでには、結局2年と少しの時間がかかった。A.D. 2014年12月1日付で、特務機関ネルフ 諜報部 所属となった加持のもとに一通のメールが届いたのは、12月3日の事だった。
『加持くん、お久しぶり。突然の事で、とても驚きました。今は第3支部勤務だそうですね。日本に戻る事があったら、一緒に食事にでも行きましょう。では。―――追伸。ミサトは、第2支部勤務です。 リツコ。』
りっちゃんも、元気そうだな。
内調時代の跡が残っていてはいけないと、何もかも捨ててしまったが、一つだけ、持ってきたものがある。
写真。
写真を撮るのも、取られるのも嫌いだった俺達3人が、揃って撮った、一枚きりの、写真。
一度別れて、そして今になって、こんな形でまた3人出会うことになるなんて思ってもみなかった、学生時代の俺達。
暫く眺めて、そして机の一番上の引き出しに戻す。
「・・・・・・出かけるか。」
口に出してみて、そう言えば暫く、日本語を喋っていなかった事に気が付いた。
いつの間にか肩の下まで伸びた髪を、邪魔にならないように束ねる。2年前、ネルフに行くと決めた日から、切っていない。
願懸けじゃないが、葛城に会えて、今度こそ、彼女の傷を癒す事ができたら。
その時は、髪を切ろうと、そう思っている。
「葛城・・・・・・ゴールは、近づいたか?」
ニューヨークの空は、今日も蒼い。
俺はネクタイを緩めに結んで、今日も雑踏に踏み出した。
Not End・・・・・・
kazuminさんのHP「生まれ変わる5つの方法」はこちら!
kazuminさんにSSを頂けるとは感無量です。
非常にセンスのある文章を書かれており初めて拝読してからファンになってしまったほどです。
このお礼はCGで…。今度は健全なものにしますから(苦笑)