夜半。ミサトは目が覚めた。

加持はキッチンの床にごろ寝をしている。







「一緒に、寝てくれないの?」
「弱っている女の子を抱くのは主義に反するんだ。」
「…あんたって、ほんとに気障ね。」
ミサトは少しだけ笑った。







第四話
過去と未来














「良い子でいたいの?」
「良い子にならなきゃいけない。」
「パパがいないから。」
「ママを助けて、私は良い子にならなきゃいけないの。」
「でも、ママのようにはなりたくない。」
「パパがいないとき、ママは泣いてばかりだもの。」
「泣いちゃだめ。」
「あまえちゃだめ。」
「だから良い子にならなきゃいけないの。」
「でないと、パパにきらわれてしまうもの。」

「でも、父は嫌い。」
「だから良い子も嫌い。」
「もう嫌い!」

「…… 疲れた。」











****










「加持くん。」
小さな声で呼んでみる。
加持は動かない。よく眠っているようだ。
ミサトはまたまどろむ。









「ミサト。」
「お父さん。」
父の顔、眼と眼が一瞬だけ交わった。初めて見た父の眼。
父の眼の、あれは
バシャッ
シャッター閉鎖。
父が覆い被さった鈍い音。
「お父さん、おとうさん!おとうさあん !! 」
真っ暗な中で、必死でシャッターを叩いて叫ぶ。
激しい衝撃。
つんざくような爆発音。
幾百もの叫びのような破壊音。
「いや。お父さん、死なないで、死なないで。」
涙が止めど無く頬を伝わっていく。
ざらざらとカプセルが引きずられる。
上になり、下になり、振り回される。


「お父さん?」










・ ***







また、目が覚めた。加持の手をしっかりと握り締めていた。
「葛城。」
「加持くん。」
「どうした。」
「なんでも、ない。」
「そうか。」











奇跡が欲しい
すべてが螺旋を描いて過去へと
一緒に死にたかった
一緒に死にたかった?
私の望んだ世界
自分の棺をなでているような
こんな世界を脱ぎ捨て
生きたい
生きていたい
新しい奇跡が欲しい
銀河がさらに大きなうねりをなすように
未来にすすんでいける奇跡
そんな新しい奇跡が欲しい







「何の為に生きるの?」

「誰の為に生きるの?」

「自分の為だけに生きていけるの?」

「この世界を愛していけるの?」



「本当に、この、日常を愛していけるの?」











****







「生きていく事はたいしてつらいことじゃないさ。」

夜が明けて、気温が上がる前の爽やかな風が部屋の中を吹き抜けていく。
朝食をつくりながら、加持はこともなげに言った。
「そうかしら。世の中には生きていくのが下手な人が大勢いるのよ。」
「確かにそれは事実だ。」
コーヒーが、ドンとミサトの前に置かれる。
「俺にとっては、と付け加えてもいい。」
「誰よりも、ずぶとい?」
「タフで要領が良いと言って欲しいね。」
何処からか出した、くしゃくしゃの煙草に火をつける加持。
「俺は、生きていくのが辛いような人間を生み出してしまう、この社会のシステムや
病理の方に興味がある。」
「健全な発想だわね。」
「例えば、セカンドインパクトが何故引き起こされたか。」
「知ってるでしょ。謎の巨大彗星が…。」
「そんなものを誰も信じちゃいない。宇宙望遠鏡や電波望遠鏡が、世界中にいくつあると思う。こっそりと近づくなんてのは不可能だよ。」
「その結果孤児になった人間に振る話題じゃないわね。」
「しかし、生きていくのが辛い人々の半分はあの為に苦しんでる。…卵はどうする。」
「両面焼きがいいな。…父の調査隊が原因で起こったと言う人もいるわね。」
「真実を知れば耐えられると言う人間は多い。訳の分からない事で苦しむのは辛い。」
厚焼きパンにバターを塗り、加持はつぶやいた。

「一番辛いのは、ただ我慢しろと強制されることだ。
真実はこのように覆い隠されている。」

ミサトは、初めて加持の言葉を聞いた気がした。

「葛城。俺はこの日常の中で、君と出会った。
だから、日常の中で君と一緒に生きていたいんだ。」
「わたしは…汚いよ。加持くん。」
ミサトはゆっくりと言葉を紡いだ。



わたしの、心は、汚い。
思っていることはいつも、人に何かを求めるばかりだもの。
かまってほしい。大事にして欲しい。
優しくして欲しい。
わかってほしい。
…愛して欲しい。
憎んでいた人にさえ。
…そのくせ、自分からは何も与えたことがない。
わたしにあるのは虚構だけなの。
わたしは、虚無だよ、加持くん。
わたしは父を殺した女だよ。
加持くん。
それでもいいの?




加持はミサトと目線をしっかりと合わせた。





俺を利用すればいい、葛城。
君が虚無なら俺を使ってきみの形をつくれ。
俺を座標にして、自分の位置を決めろ。
俺は、きみが何者だからといって
きみを選んだ訳ではない。
葛城。
きみはそのままで俺の所に来ればいい。
寂しさを俺で埋めてみろ。

俺をだましてみせろ。
俺を虚無に引きずり込んでみろ。

俺は必ず。








その後、ふたりは黙ったまま食事を済ませた。
あまりに重いことを口にしたから?





真実はいくつもある。
自分の真実さえ。
その中から、より深い真実を選択する。
互いの真実を選択する。
そしてそれを信ずる。
自分にとっての真実であると。
それこそが、現実。
その現実が自分たちの真実を形作っていく。
それを信ずる。
それが







二人は大学に向かった。
交わす言葉はなかった。
並木道を過ぎ、いつものゼミナール棟を通り過ぎた。
煉瓦造りの古風な地政学研究棟の入り口。
ミサトは加持を真っ直ぐ見据え、意を決し、言った。





「今夜、必ずわたしの部屋に来てくれる?」


加持はミサトに手を伸ばし頬を撫でた。
「ああ。必ず。」






あなたは、父と同じような人。
他人の真実の為に自分が傷つくことを恐れない。
自分の真実を求める為に他人が傷つくことを厭わない。

わたしは、きっとあなたといると寂しいかもしれない。
気が違うほどあなたを求めるかもしれない。

でも、いいの。
わたしには、今のあなたが必要。
わたしの今の真実をそのまま受け入れてくれるあなたが。
これは偽りかもしれない。
これは錯覚かもしれない。

でも。
今、わたしはあなたといたい。
あなたの腕の中で眠りたい。
あなたの体温が、欲しい。

少しだけ。
少しだけ。
何もかも忘れさせて下さい。





加持くん。












第四話「 過去と未来 」 終






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第四話「過去と未来」です。
ここで初めて、時間が第一話に戻ります。
これはSSじゃないよ、というご意見が来そうですね。
文章、極端に少ないです。ほとんどがモノローグになってしまいました。
雪なんか降っていて、静かな一日だったからでしょうか。
メール頂いた方、どうもありがとうございます。
感想のある方、掲示板にもお願いします。

へっぽこなSSをいつも掲載してくれる、ねこ鳩通信社のご厚意に感謝します。

こめどころ




どんどん、上達されていく、こめどころさんのSSに目が離せません。
これからが楽しみです。(家主・鳩矢)



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