Wo ist die Stelle fur mich?
 私の居場所はどこにあるの? <前編>




            

Presented by Masaki Morimiya




Die Beruhrung――接触、その快と不快

 アスカは口元を一文字に結び、ネルフ本部の廊下を制服のスカートがなびかんばかりの早足で歩いていた。気が強そうな颯爽とした容貌はいつもと変わらない。しかし、心中は全く穏やかではなかった。

(加持さん、今日こそは)

 今着ている制服はクリーニングからさっき受け取ってきたもの。下着は先週ブティックでヒカリと一緒に1時間も悩んで決めたもの。昨日の晩はミサトに呆れられるほどお風呂に入り、さっきまた本部のシャワーを使ってから柑橘系の香水をほんの少しつけてきた。

(私を抱いて)


 この思いは、ごく最近になってからアスカの中に生まれた。確かにアスカは初めて会ったときから加持に好意を抱いていた。しかし、性的な関係を持ちたいと思ったことはなかった。その理由は「不潔!」の一言につきた。少なくともアスカはそう思っていたしそれ以上考えはしなかった。
 だが最近、アスカの環境も感じ方も少し変わった。
 環境の変化はミサトがどうやら加持とよりを戻しつつあること。シンジとキスをしたこと。
 加持は昔ミサトと付き合っていたらしい。別れた恋人と再会してよりが戻ることはそう珍しくない。アスカにとってみればそれは「不潔!」以外の何物でもないが、勿論放って置いていいことではない。何とか現状打開をはからなくてはならない。
 加持とミサトがいい感じになっていることを目の当たりにした晩に、アスカはシンジにキスをした。いや、キスではない。苛立ち紛れにシンジの唇に自分の唇を押し当てただけだ。
 甘くもなんともない、レモンの味もしない、単なる接触。
 その後すぐ唇を洗った。退屈だからって、いらいらしているからってするもんじゃない、そう思った。
 だが、本当に好きな人とするのなら、気持ちいいのかも知れない。だったらしてみてもいい。それはアスカにとっておそらく生まれて初めての性的な感情だった。幼い頃から天才ぶりを買われて大人とだけ接してきたアスカにとって、憧れはあっても大人は性的対象にはならなかった。シンジとのキスをきっかけにして、初めて加持を性的対象として――同年代の少女と比べても奥手ではあるが――見るようになった。
 だが、行動は迅速かつ突飛だった。黙って見ているだけでは何も手に入らないことを、アスカは経験上よく知っていた。そうした行動をとることで加持が本当に手に入るのか――その答えは保留していた。

(私は子供じゃない。加持さんに抱かれることだって出来る)

 そして、加持に本当に抱かれたいのか、その答えをアスカは持っていなかった。ただ、加持に見捨てられたくなかった。加持に自分を見て欲しかった。一時でもいい、私だけを見て――切実だがどこか咬み合っていない思いに突き動かされて、アスカは加持の部屋の前に立った。
 ドアの前で立ちつくす。いつもと変わらない無機質なドア。だが、ここに入ってしまえばいつもと違うことが始まる。
 ホントにそれでいいの? 内心の声を振り切り、アスカはドアを3度叩くと同時に開いた。
「かーじーさんっ」

 中に加持はいなかった。

 天井の照明が乱雑な部屋を照らしている。パソコンを置いた作業机は相変わらずプリントで埋もれている。パソコンには初期画面が映し出されていた。
(出直し、か)
 アスカは入り口に立ちつくしている。どうしようもなくがっかりしている反面、少しほっとしたのも事実だ。

「どうした?」
 後ろから声をかけられると同時に右肩を軽く叩かれた。
 反射的にアスカは身体をのけぞらせた。「ひっ」という声をかろうじて口の中で押さえ込んだ。
 振り返ると加持がいた。不思議そうな眼でアスカを見ている。よく考えてみたら、加持が本当にずっと不在なら部屋の明かりもパソコンも電源を落としているはずだ。ましてや鍵が開いているわけがない。当たり前のことも気がつかない自分の迂闊さにアスカは腹立たしくなった。
「ちょうど一休みしてたとこだ。一緒にコーヒーでも飲むか?」
 加持はアスカを部屋の中に入れてドアを閉めた。アスカにはその音がやけに大きく聞こえた。
 落ち着きなく立っているのも間が持たないので、アスカは二人掛けのソファに座った。加持はアスカに横顔を向けてポットのお湯でインスタントコーヒーを作っている。
「ブラックしか出せないが、いいか?」
「ええ、構わないわ」
 今のアスカにとってコーヒーの味などどうでもよかった。気になるのは声がうわずっていないか、これからどう話を持ちかけるかということだった。
「ほら、熱いぞ」
 加持はアスカに湯気の立つマグカップを渡した。
「ありがと」
 お義理でマグカップの縁に唇をつける。一口含むと苦いものがアスカの舌を引っかき回した。向こうには同じものをパソコン用の椅子に座って美味しそうに味わっている男がいる。
(この人に抱かれる)
 加持を目の前にしても、まだ実感が湧かなかった。
 やっぱりやめようか、手の中のマグカップに眼を落としながらそんな思いがアスカの心中をよぎった。
 しかし、そのマグカップがアスカの変心を遮った。
 淡いクリーム色の下地に三毛猫の絵が描いてある、そのマグカップをアスカは前にも見たことがあった。ミサトの家の食器棚の奧でひっそりと保管されているものと同じだった。このマグカップをアスカはめざとく見つけて、ミサトに「ちょうだい」とねだったのだ。なかなか可愛かったし、使っている様子もなかったからだ。だがミサトは、やんわりとけれども毅然とそのおねだりを拒絶したのだ。理由についてはミサトは笑って答えなかったが。
(加持さんとミサトの思い出の品、ってわけ……)
 アスカはそのマグカップを壁に叩きつけたい衝動に駆られた。ミサトには負けられない。だから今計画を変えるわけにはいかない。
 アスカはマグカップをテーブルに置いて加持を見上げた。視線がぶつかる。
「ねえ、加持さん」
「ん?」
 一呼吸置いて一文字一文字をはっきり発音した。

「私を抱いて」


 その言葉を聞いた瞬間も加持の表情は変わらなかった。予想していたのかも知れない。ただ椅子に座ったままアスカを見ている。
 一方アスカは言葉に出したはいいが、加持が全く反応しないことに内心焦りを覚えていた。肯定にしろ否定にしろ何かの反応があれば次の行動にも出やすい。だが、加持はただアスカを見ているだけだ。心中が全く読めない。
「私、加持さんが好きなの。知ってたでしょ? だから抱いて欲しいの」
 たたみかけるように言うとアスカは立ち上がり、制服のリボンをほどいた。そのまま上着を脱ぎ捨てる。一抹の後悔を振り切るような荒々しい脱ぎっぷりだった。
 この稚拙なストリップショーを見ても、加持は声をかけるでもなく止めるでもない。といってにやけ面をするでもない。ただ、見ている。
 冷静な目が、アスカをより羞恥に追いやった。スカートのホックをはずす手が震えて何度もはずし損ねる。やっと、足元にスカートの輪が出来た。
 タンクトップとパンティという出で立ちを加持の前にさらす。この2品も、下のブラジャーも推敲に推敲を重ねて身につけた代物だ。まだ少女っぽいアスカの身体を綺麗に演出してくれているはずだ。だが、両腕は胸と腰に巻きつけられ、身体を隠してしまっている。しかし、今のアスカには加持から目を逸らさないのが精一杯だった。
「もし抱いてくれないなら、このかっこで外に出て『加持さんに襲われた』って騒ぎ立てるから」
 どもらないのがやっとの迫力に欠けた脅迫だった。
「……じゃあ、やれよ」
 ようやく加持が口を開いた。
「俺を襲いに来たんだろ。だったら、しろよ。君が俺を犯すんだ。俺はなすがままってわけだ。好きにしろよ」
「お、犯すだなんてっ……」
「脅迫してやらせるんだろ。レイプとどこが違うんだ?」
 淡々とした加持の語りの前でアスカは足元の感覚がなくなってきた。目尻が熱くなる。それを押さえつける。
 シナリオが違う。こんなはずじゃなかった。私はただ……。

「君は、何を望む?」

 加持の言葉がアスカの身体に染み込んだ。

「私を抱いて」
 前と同じ言葉。だが、加持は立ち上がりアスカの前にやってきた。肩と背中に手を回し壊れ物を扱うようにそっとアスカを抱いた。
 男の胸に抱かれるのは物心ついてから初めてだった。ワイシャツに頬を寄せる。身体がこわばって抱き返すこともできない。気持ちがいいのか悪いのか、嬉しいのか嫌なのか考える余裕はなかった。ただ、感じていた。ワイシャツの感触、煙草とコーヒーと体臭が混じった匂い、背中と肩にある大きな手。
(違う)
 ――何と?


(アスカちゃん……ママと一緒に死んでちょうだい――!)

(いやあっ! 私はママの人形じゃない! 私を殺さないで!)

 首に巻きつく細い凶器。地面がなくなる。
 
(私はここにいちゃいけないの?)

 私を抱いてくれたママの手が、私を殺すために喉を締め上げる。

(私は死ななきゃいけないの?)

 暗黒が支配した。


「いやあああああっ!!」
 加持の腕の中でアスカの身体が跳ね上がった。加持の腕から逃れようともがく。軽く抱いていた加持の腕に力がこもり、アスカをしっかり抱き寄せる。
「ママ、殺さないで、私、いい子になるから、私を殺さないでえ!」
「アスカ!」
 少女とはいえ本気で暴れたら押さえる方も一苦労だ。加持の顔に何カ所かひっかき傷が出来る。
 加持はアスカの頭を抱え込んで強引に上を向かせた。アスカの唇に唇を押し当て、有無を言わせず舌を絡め取る。
「んっ……」
 アスカの身体から力が抜ける。今まで経験のなかった刺激を感じる。暖かく柔らかい感触が舌を包み込む。眼を閉じてその感覚に神経を集中させる。

(気持ちいい……)

 ふと、その感覚がなくなった。名残惜しかった。いやいや眼を開ける。加持の顔が目の前にあった。その瞬間、今まで自分がしてきたことが一気に思い出された。過去の記憶に錯乱し、あられもない姿をさらしてしまった。顔に血が上る。
 突き飛ばすように加持から離れて、急いで制服を身につける。アスカはそのまま加持と目を合わすこともなく逃げるように部屋を出ていった。
 後に残された加持は頬のひっかき傷をなぞりながら、苦笑を浮かべていた。そしておもむろに受話器を取り、番号を押し始めた。

     Die Fortsetzung folgt――以下次号

・作者コメント
 今回はアスカの視点から「接触」ということをテーマに書きました。えっちはありません(笑)。内心びくびくおどおどしたアスカを描写するのが大変面白かったです。女の人が「抱いて」って言う場合、ホントにただ「抱いて」欲しいってことはけっこーよくあるらしいです。『ノルウェイの森』を思い出しました。後編ではミサトさんがちゃんと出ます。1人の男に惚れる2人の女のやりとりをお楽しみに。
 


鳩矢より注  タイトルの「fur」の「u」はほんとはドイツ語特有の文字で、「u」の上に横に二つ点々のついた文字です
「Beruhrung」の最初の「u」も同じだそうです。修正を頼まれたのですが、どうすれば点がつくか分からなかったので
そのままになってます。
間違いではありませんので、あしからず。