プツ…。

電話は、接続を切られて不満そうにコールを止めた。

 

「ぜんぜん出ませんね。ミサトちゃん、どこにいっているのかしら。」

「もう一ヶ月近く、見かけないな。旅行にでも出ているのか。」

地政学研の方達も知らないといっておられましたわ。」

「ふん…。」

 

保健管理センター。ミサトの法的保護者たる吉嶺Dr.と中田Dr.は苛立ちを募らせていた。

 

 

 

「…ん、リョウジ。行くの?」

「ああ。」

「あんた、ネンネちゃんと付き合い始めて、女切ってるんだって?

「ああ」

「…わたしも、お終いということね。」

「悪いな…。」

 

加持は、ごつい作業用ズボンと安全靴を履くと、厚地のシャツを手にした。

 

「あやまってもらってもねえ。…ま、続くといいわね。」

 

加持は黙って部屋を出た。閉められたドアに、灰皿が叩き付けられて、砕け散った。

 

 

 

 

 

 

第七話

錯覚の向こうに透けて見えるもの

 

 

 

 

加持は、自分の部屋に戻ると冷蔵庫から缶ビールを出し、一気に飲み干した。

半分干からびたような太いソーセージがあったので、それを口に押し込んだ。

 

生き残った古い路面電車が、ガウガウと音を立て、アパートに振動を振りまきながら通り過ぎる。耳障りな警報機の音。

 

服を脱ぎ捨て、シャワー室に入る。これは壊れていて湯は出ない。

カランから、バケツで水を受け、頭と身体に石鹸を適当に塗りつけ2,3杯頭からかぶる。年中真夏の世界ではこれで十分だと思っている。

 

薄汚れたタオルで体を拭きながら居間に出ると開け放した窓の外を眺めているミサトがいた。

 

「なんだ、来てたのか。」

「うん…、ひとりでいると、退屈。どこか行っていたの?」

「昨日の夜から、徹夜でバイトだ…。」

「不思議ね。今まで退屈だなんて思った事、無かったのに。」

 

加持はもう2本ビールを出し、テーブル代わりの古いこたつの上に置いた。

 

「飲めよ。」

 

いいながら、素っ裸のまま畳に坐り込み、一缶開けて飲む。

 

「私も、シャワー借りていい?」

「湯は出ないぞ。水をバケツでかぶるだけだ。」

 

肯くミサト。

洗濯物の山の中から、木綿のシャツを引っ張り出し、ミサトに投げる。

 

「これしか、タオルの代わりにならないが、使うか。」

 

「ありがとう。」

 

 

 

ややあって、ミサトがでてきた。濡れたままの身体に、シャツを羽織っている。

 

「濡れたままだと涼しくていいわね。」

「髪ぐらいは拭いてくれないと、畳が腐っちまう。」

 

シャツを捲り上げ、ぐしゃぐしゃとミサトの髪を拭く加持。

ミサトも下には何も付けていない。

 

「ちょっと、刺激が強いんじゃないか?」

「おたがいさまでしょ。」

 

手櫛で髪を適当に整えると、ミサトもビールの栓を開け、一気に半分くらい

飲んだ。

 

「いつも、この銘柄なのね。EBISU。」

「オヤジがいつもこれを飲んでたんだ。なんだっていいんだがな。」

「そう、お父さんが。」

「あの日以来、会っていないがな。」

「そうね、私もよ。」

 

お父さんは何を飲んでたかしら…。

EBISUだったかもしれない。どこかで見覚えがある缶だった。

 

「うちの父も、これを飲んでいたような気がする。金色の…。」

 

「つまみが何も無いんだ。ま、俺はこれでいいが。」

「あっ…。」

 

加持は、ミサトを押し倒すと、股間に顔を埋めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たばこの煙が漂っている。

扇風機が生ぬるい風を送ってくる。また警報機の音と、路面電車のうなり。

 

「もう…。けだもの並みなんだから。」

「ふふん。」

「ねえ。」

「なんだい。」

「ねえ、もう一回。」

 

ミサトは加持の乳首に舌をはわせた。こりこりと甘噛みした。

 

「おやおや。」

「ねえ…。やっと、分かりかけてきたみたいなの…。だから。」

「いつも十分わかってるじゃないか。」

「そうじゃないのよ、もっと…奥の方の…もっとすごいとこが…。」

 

 

「女は全身性感帯の化けもんというが、本当だな。」

「言ったな。これで、どうだ。」

「おおっと、これは、きついな。」

「ふ…、ねえ、これが…。」

「葛城。」

「あ、そこ…。いや…ん。」

「じゃあ…、ここ。」

「あっ、ああっん。あ、はあああ。」

 

加持のものが、深く入り込んでくると、ミサトは2回、続けざまに達した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いま、何時?」

「午後115分。」

「大学…。ちょっち行ってみようか。」

「そういえば…、もうずっと顔出していないな。」

「おなかも、すいたし。」

「学食に行って、ついでに掲示板を見ておくか。」

 

2人は、ほぼ一ヶ月ぶりで大学にむかう事にした。

 

 

 

 

 

 

 

学食に入るとリツコが目ざとく見つけて、寄ってきて叫んだ。

 

「ミサト ! あなたどこに行ってたの?みんなが探してたのよ!?

掲示板見た? 学生課、奨学会、保健管、地政学研、電脳室、みんなあんたの呼び出しばかりよ…、この人は?」

 

「あの…。こちら、外語学部で、政治研究会の、加持リョウジ…、彼、なのよ。てへへ。」

 

「よう、赤木リツコ女史、だろ? よろしくな。」

 

リツコはリョウジに対して何か敵愾心のようなものを、瞬間、抱いた。

 

「あのね、学校はずっと来ようとは、思っていたのよ。でもいつのまにか日が経っちゃっててさ。へへへ。」

 

「ふ〜ん、それで、これが乙姫様というわけ。なに、踊りでも見せてくれるの。」

 

ギイッと、加持を睨み付けるリツコ。

 

「学校にも来ないで、こんな奴とずっと一緒にいたわけ?!

神経 疑っちゃうわ!!」

「だ、だからさ、ごめんっ!!」

 

あの、涼しげな感じだったミサトが明らかに変わってしまっている。

男をかばおうとして、懸命に言い訳するミサトを哀れと思い、

また無様とも思った。

 

「さっさと事務部に行きなさい!」

「リツコ~、ごめんね~。」

 

遠くでミサトの叫ぶのが聞こえた。

 

 

 

 

あちこちで散々絞られて、ミサトがすべての事務処理から開放されたのはもう5時過ぎだった。

 

「ああっ、つっかれたあ。」

「ほら、食えよ。」

 

加持がサンドイッチを渡す。

 

「あ、サンキュ。」

 

もりもりとミサトは立て続けに3枚食べた。その間に牛乳も一本。

 

「やっぱ、週に一回は大学来てないとだめね。一ヶ月かぁ。そんなに経っていたのねえ。はぁ。」

 

「荒淫 矢のごとし… というからな。」

 

加持が木の枝で土に字を書きながら笑った。ミサトも字を見て苦笑いする。

 

「あんまりな字ねえ。うしし、でもしょうがないか、本当の事だもんね。」

「葛城、ずいぶんウエストが細くなったな。」

「え?そう?そう言えば、ここ緩いかな。でもその分腰がきつくて…。」

 

自分で言うなよな…。加持は苦笑した。正直な身体だな。

 

「これからどうする、加持。」

「そうだなあ…、さしあたやることもないし。」

 

2人は夕暮れの中をふらふらと歩き出した。

 

「あのさぁ、わたし、加持と一緒に住んでいいかなぁ。」

「今のアパートはどうする。」

「あそこは、大学の女の子たちが結構いっぱい住んでるの。そのままにしておいても、奨学金の現物支給の一部だから、問題ないし。」

「そうか。」

 

ミサトは立ち止まると加持の顔を真っ直ぐ見た。

 

「わたし、加持君とちょっち、一緒に住んでみたいんだ。」

「汚いとこだぜ。うるさいし。」

「あそこら辺は、自由な感じがして好き。」

「その分犯罪も多いがな。」

「誰にも頼らずに生きている町だからいいのよ。」

 

加持は、いい女になったな、と、ミサトを眺めていた。

毎日毎日、爛れきった生活を、一ヶ月以上続けただけとはおもえない輝きが

ミサトの顔には有った。

 

とことん愛されているという実感から来る、自信。

この男だけは、いつでも自分の味方をしてくれるという背中の温かさ。

 

そんなものがミサトを変えていたのだが、その時の加持にはそこまでは

わからなかった。

 

世界中でたった一人でも自分を無条件に支持してくれる人がいれば人間は強い。

 

後に、他ならぬ加持自身が、それを思い知る事になるがそれは先の話である。

 

愛は錯覚である時もある。しかしその時感じたものは真実である。

 

「わたし、加持くんの全てが知りたいの。加持くんにわたしの全てを知って

欲しいの。だから一緒に暮らしたい。」

「わかった。それは俺も同じ気持ちだ。俺の全て。さらけ出してみせよう。」

 

ふたりは、握手を交した。

この時から、ふたりは恋人というだけの関係ではなくなった。

後に、同じ戦いに身を投じる事はここで約束されてしまったのだった。

 

 

 

 

たとえそれが悲劇と呼ばれる事であったにせよ。

 

 

 

 

 

 

第七話 おわり

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