LONELY BUTTERFLY

Presented by Masaki Morimiya



(ねえ、知ってる?)
(ん?)
(ちょうちょって、幼虫の頃は食べられる草が決まっていて、その食草がないと死んじゃうんだって)
(へえ、そうなんだ)
(私にとっては……)
(え? なんだって?)
(ふふ、内緒)


 加持は嵐のような情事が終わると間もなく、意識の奈落に転げ落ちていった。しばらくの間その横顔を見つめていたミサトだったが、まだ火照りの余韻が残る身体を加持からもぎ離し、ベッドを降りた。一瞬ふらつく。腰から下が痺れている。
 体勢を立て直して、冷蔵庫に向かう。冷蔵庫の中には食料品がほとんどない代わりに、ビールが隙間なく詰まっている。そこから3本取り出してドアを閉めるとダイニングテーブルに置いた。そのままテーブル備え付けの椅子に座る。
 プルトップが小気味いい音を立てる。ミサトはそのまま一気に喉奧にビールを流し込んだ。加持との情事の後のビールはいつも美味しかったが、今日は違う。ただの苦い水だった。しかし、構わずあおり続ける。2本目も開けた。
(これが、加持と飲む最後……)
 いつからか、ミサトは加持との別れを決めていた。嫌いになったわけではない。ただ、一緒にいられなくなっただけだ。
(NERV配属も決まったことだしね)
 しかし、それが口実に過ぎないことはミサト自身がいちばんよく分かっていた。


 きっかけは些細なことだった。
 冷蔵庫からビールを取り出そうとした加持の背中に「お父さん」と呼びかけてしまったのだ。
「おいおい、お父さんじゃないだろう」と加持は苦笑し、
「お父さんがこんなこと、しないだろう?」とミサトをそのままベッドに押し倒した。
 手首を押さえつける加持に嬌声で応えつつ、ミサトの中にかすかなしこりが残っていた。
 
 それからというもの、何かと加持と父親がだぶるようになっていた。余りにもだぶりすぎるので、父親の記憶を捏造しているのではという疑惑に駆られもした。おそらく、それもあるのだろう。しかし、それが分かったからといって、何ができるというわけでもなかった。
 ミサトを救うために彼岸の人となってしまった思い出の中の父親に勝てる男などいない。加持と別れたくなかったからこそ、なおさら苦悶は増した。
 だから、より激しく加持との情事を求めた。身体を重ねている間は、父親とだぶる心配がなかったからだ。
 身体はより加持との結びつきを強め、更に強いつながりを求めた。加持はそれに応えようとしてくれた。行為は次第にエスカレートし、SMまがいどころか、SMそのものにまで及んでいた。
 「こんなことができるのはあなただけ」「他ならぬ加持リョウジ、あなただけ」――その思いは確かにミサトを随分楽にしてくれた。しかし、根本的な解決にはなっていないのはよく分かっていた。
 この問題について、加持に話したことはない。話して嫌われるのが恐かった。それと同時に、この秘事に快感を覚えていなかったと言えば嘘になる。加持と寝ている間の快楽は日常の苦悶を補って余った。それこそがミサトにとってのSMだったのかも知れない。
 
 しかし、もう限界だった。今夜、加持との訣別を決めた最後の情事の前、ミサトは加持にこう言った。

「私を許さないで」

 ダブルミーニング。情事への甘いおねだりと、何も言わずに去っていく事への言い訳。
 別れを決意していることまで加持が読みとれたのかは分からない。ただ、ひとつ頷くと、加持はその通りにしてくれた。
 それまでに買い揃えた道具などひとつも使わない。ただ、加持は自分の肉体のみでミサトを責め立てた。
 首筋に幾つもの桜の花弁を残し、小さな空豆を真珠にまで固くする。それだけでミサトは声もなく背筋を反らした。ミサトをその余韻に浸らす暇も与えず、加持は濡れた貝殻を指先でこじ開け、中にあるアーモンドの粒を撫で上げる。
「やっ、出ちゃう、あっ……」
 唇を噛みしめ苦悶するミサトに構わず、加持は指を大きくスライドさせて時を待った。
 程なく、加持の手首に大量の液体がまとわりついた。無味無臭のその液体を舌全体で大きく舐め上げると、震え続ける身体と内部に構わず、加持はそのまま中に入った。
「ああっ!」
 一声上げてミサトは力を失った。後はただ翻弄されるのみだ。
「くるし……おね、が……も、許し――」
 叫ぶ間に必死で挿入した断末魔の喘ぎに加持は更に強く突くことで応えた。
 何がどこまで続いたのか分からない。途中幾度も姿勢を変えさせられ、意識を飛ばし、体液にまみれてミサトは濡れたシーツに頬を寄せていた。
 焦点の合わない目が窓の外を向いた。何か小さく動くものがあった。
(あれは……)
 加持の責めから逃れるように、意識を少しだけそちらに向けた。白い羽根が意識の片隅に残った。
(ちょうちょ……)
 その数瞬後またミサトの意識は嵐に翻弄される蝶のように大きく吹き飛ばされた。更に数瞬後加持自身も何度目かの脱皮を遂げた。


 眠り続ける加持の向こうに、藍色の空が広がっていた。さっきより微妙に色が薄くなってきている。夜明けだ。
 すでにビールの缶がミサトの足元に10本近く転がっている。なのに少しも酔えない。
 窓の外にはもうさっき見かけた蝶はいない。そもそも本当に蝶だったのかも分からない。セカンドインパクト後の荒廃した土地に果たして食草があるのだろうか。
(私も心の中にお父さんがいなければ生きていけないのだろうか)
 だとしたら、別の食草を求めようとしたこと自体過ちだったのだろうか。
 ミサトは立ち上がり、身支度を整え始めた。あえてシャワーは浴びない。加持の名残を残しておきたかった。
(ずるい女)
 身支度を整え終わり、ミサトは相変わらず眠り続ける加持のもとへ静かに歩み寄った。ベッドの脇に膝を着き、加持を見やる。
 いくら見ていても見飽きない加持の顔。少し無精髭が伸びている。指先でそっとなぞってみる。ざりざりと指につっかえる不思議な感触。もうこうして加持に触れることもない。

 息を止め、加持の頬に微かに唇を触れさせた。
 その途端、加持の腕がミサトの頭に回された。

 起きていたのかと息が止まるほど驚いたが、加持の腕はすぐに力をなくし、シーツに投げ出された。
 その指先に水滴が落ちてきた。その水滴はミサトの頬から顎を伝っている。
(この人は食草なんかじゃない)
 思いが氷解した。
(私がちょうちょだとしても)
 ミサトは声を出さずにそのまま朝の訪れを待っていた。夜のとばりが消え去るまでの短い一時、せめて加持の前では人間でありたかった。

 外は随分明るくなっていた。
 ミサトは鞄を肩に掛け、そのまま振り返ることなく加持の部屋を出ていった。

           











-THE END-













後書き(2000/9/15)
 元のイメージはレベッカの同名の曲より。
 最初はもっとラブラブをイメージしていたのに、どうしてこんな「精神的SM」じみた話になってしまったのか(爆)。
 えっちシーンは今まででいちばん露骨でなくかつえっちっぽく書いたつもりなんだけど、どうでしょう?
 「食草」の話は、遠藤淑子の漫画『マダムとミスター』5巻19話より。
 ぜひ何か御感想下さい。

森宮さんへの感想をぜひ掲示板に


森宮さんからの投稿は久々です。
電話で連絡をもらってメールをもらうのが待ち遠しかったです。
森宮さんの感性はとても深く色々な思いが投射されていて友達だから適当な感想を、というわけにはいきませんでした。
SMっぽいなんて言葉で片付けられないと思いました。切ない、痛い、苦しい、そんな思いが感じられます。
想いが深くなるほど自分のエゴが出てくるし、増してやミサトの背負っているものは重く癒されるものではない、
そんなことが感じられました。せめて加持の前では人間でいたかった、のくだりが個人的には染みました。
実はエロ挿絵でもつけて恥ずかしがらせようかと思ったんですがそんなふざけたものじゃなかったので
自分が少し情けなかったです(笑)

(家主・鳩)

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