「桜も終わったな。」

「まだ寒い日が続いてるけどね。まあ、コートが要らなくなっただけでもたいしたもんだわよ。」

「コートも何も、毎日酒を飲んでればぽかぽかだろうよ。さすがに俺も付き合いに疲れた。」

「あはははは。わりかったわねえ。だから全部付き合う事なんてなかったのよう。」

「どっちにしろ迎えに来いって電話は来るじゃないか。だったら最初からいた方が安心だ。」

「・・・・・・・・・・。」


冷や汗を垂らしながら、バンバンと加持の背中を叩くミサト。


「おまえを背負ってアパートまで帰ったのだって5回。しかも花も何も関係無しに単に桜の木の下で飲んでたのもうち2回あったな。」

「あ、あははははははは。そう?そうだったかなあっ!」

「俺、ちょっとバイト仲間のところへ寄って、来週のスケジュール見てくるわ。煙草もなくなったし。先に帰っててくれ。」

「ハイハイ、いいわよん。何か食べ物も調達お願いね。」

「こんな時間にかぁ?」


二人は駅前で別れた。えんじ色のセダンが出迎えの父親を乗せている。


「パパー、おかえりなさあい!」

「おっ、きょうはミクも一緒にか?何かお土産買ってくれば良かったな。」

「じゃあ、ルーソンのシュークリーム買って。」

「反ってバスより高くつくなあ。あははは。」


その横を微笑みながら行き過ぎるミサト。車は発進し、ちかちかと指示器を点滅させて走り去った。







アパートのドアを開けたとたんに手を取って引きずり込まれ何かを顔に吹き付けられた。

咳き込みながらドアに体当たりするように廊下に転がり出る。


「ちっ!」


鋭い舌打ちの音が聞こえた。ぼろぼろの作業ズボン。毛糸のキャップ。

腐ったような色のTシャツの男達が後を追って2,3歩踏み出してくる。

鉄の柵を握り締め、薄れていく意識を何とか維持しようとするが、もう目の前が揺らぎ始めていた。

男達の声が歪んで聞こえた。


あ、は包し。長まずぞ。」


最後の意識を振り絞るようにして、手を伸ばしてくる男の顔を蹴り飛ばす。

そしてその勢いで身体を捻り、全ての力を集中して鉄柵を飛び越え宙に身を躍らせた。


しまった。


男達の声が耳に残ったまま、長い事かかって下へ下へと落ちていったように感じられた。



どすんっ。



いやだ、私そんな音がするほど重くなんかないわよ・・・・・。そこでミサトの意識は、消えた。







Woolpack


こめどころ







加持が煙草をくわえてアパートに戻ってくると、一階に住んでいる大家の婆さんが飛び出して来た。


「大変だよ、加持さん。奥さんがかどわかされそうになったんだよ!」

「かどわかすって、昔の男でも尋ねてきたんすかぁ?」

「なに馬鹿言ってんだよ、この男は!ああもう肝心な時には男ってのはちっとも役にたちゃしない!」


加持の顔色が変わった。


「婆さん ! それでどうしたんだ!」

「骨折って、身体中打って大変だったんだよ。救急車呼んで、あのー、りつこさんだっけ、あの人に連絡して、第一病院に・・。」


そこまで聞いて、加持は猛然と走り出した。婆さんが声を限りに叫んだ。


「命にゃ別状ないってさーっ!早くこいってリツコさんがいってたよーっ!!」


後に残された煙草が細い煙を流しつづけていた。




バタン!


激しい息使いに、本を読んでいたリツコは眼鏡を外して顔を上げた。


「りっちゃん、葛城は・・・どうした。」

「警察の調べはもう終わってるわ。ノックアウト強盗というのがあのあたりはやってるらしいわね。急にはやり出したらしいわよ、最近。
強い睡眠スプレーを吹き付けて昏倒したところを見計い身包み剥いで家中の金目の物を奪う。ついでに若い女性がいれば乱暴する。
あんたが居着かないから一人暮らしと思われたんじゃないかって言ってたわよ。警察も良く見てんじゃないの。」


眉根にちょっとしわを寄せながら、リツコは冷たく微笑した。その目が加持の表情を値踏みするように真っ直ぐ彼の顔の中心を見ている。


「あらあら、加持くんにしては随分必死の面持ちで駆けつけてきたのね。大丈夫。治療は終わってるわ。良く寝てるわよ。」

「入っても、いいのか。」


リツコの横にあるのであろうベッドは、厚めの遮光カーテンにぐるりを取り巻かれていた。

リツコの顔が僅かに肯く。


「ただし、直射の光が入らないように気を付けて。かなり強いアンタゴニスト(拮抗薬)を投与ったからね。」

「そんなひどい薬物を使われたのか。」

「MCO syndorome を起こしてるわ。口腔粘膜や眼結膜にかなりひどい糜爛や水泡ができてる。良くその場で昏倒しなかったもんだわ。」


リツコは加持がこぶしを握っているのに気付いて、もういちど微笑んだ。


「でも、もう大丈夫よ。2、3日もすれば退院できるわ。折れたのも左手だけだったし。とっさに受け身を取ったみたいで頭は打ってない。」


加持は無言のまま、ベッドの後ろ側に回り込んでカーテンの中に入った。

遮光カーテンの中は真っ暗だったが、暫くすると、ぼんやりと周囲が見えてきた。

純白の包帯が頭と、目のあたりに巻き付いている。加持は身を屈めて顔をミサトに寄せた。抗炎症剤独特の基剤の匂いがした。それに混じる何か。

FKZ系の激烈な意識喪失を引き起こす強力な薬物を加持は知っていた。ミサトのこの甘い吐息は、紛れもなく僅かに残ったそれの残滓であった。

場合によっては回復不可能な妄想に取り付かれる事もあるようなこんな薬物を使ってまで確実にミサトを強奪しようとする組織とは何なのか。

そこまでしてミサトの記憶を手にしたい組織は、加持が知る限り一つしかない。

おそらくは、あの時にかけた暗示が切れ掛かる時期なのだ。このところ夜になるとミサトが苦しんでいる悪夢の正体。

それは加持自身が知りたかったあの事実の断片。事によってはそれそのものかもしれないことに加持は気がついていた。

当時2重3重に掛けられたロックを彼らは解く事ができなかった。その挙げ句にミサトは廃人同様の数年間を送る事になった。

だが誰かがこの時限ロックに気付いたのだ。数年後かもう少し先か、その時のやってくる直前にミサトの胸に眠る秘密が解き放たれる。

その前に彼女を再び確保したい組織がなりふりかまわず動き出したのだろう。

もしかしたら俺自身がまだ顔の割れていない、どこかのエージェントと思われたかも知れんな、と加持は思った。


「加持?」

「ああ、おれだ。」


人の気配にミサトが気付いた。その気配が加持の物だとわかってミサトの声から不安気な様子が消える。


「ひどい目に合ったな。まあ、ノックアウト強盗の類なんだろうが。」

「うちになんか入ったって、盗る物なんかなにもありゃしないのに。さぞがっかりしたでしょうね。」

「そうだな。ひどい薬剤を使いやがって。顔しか取り得のない女にひどいことするよな。」

「なああんですってええ!それはどういうことげほげほっ!!」

「ま、まてよ。喉も腫れ上がってるんだ。大声を出すんじゃない。」


慌てて方を押さえ付ける加持の腹に膝蹴りが一発。


「ぐ、げふう〜。」

「かかかかか!!こちとら気が立ってんだからねっ。さわんないほうがいいわよっ。」

「たばかりやがったなあーーー。骨折してるとか言ってやがるから弱っていると思っていたのに・・・。」

「それは本当よ。身体がみしみし・・・ぐぐぐ。いたああああーい!!!」

「そうまでして報復したいか、おまえは。」


呆れ果てた声で加持が言う。


「あの野郎達にも・・・絶対・・・・仕返ししてやんだから・・・。いてええ。もう!この目の包帯はいつとれんのよっ。」

「退院は2,3日後らしいが・・・。まあ一週間はかかるだろな。失明してても文句はいえんようなやつらしいからな。」

「まあったく腹の立つったらぁりゃしない。」


加持はミサトの毛布をかけなおし、髪の毛に指をすき入れた。


「あん、なによう。」

「よかった・・・・。何はともあれ、無事で。」

「な、なによう・・・。」

「すまん。りっちゃんにも、大家の婆さんにも怒られた。肝心な時に男ってのは役に立たないってな。」

「へへ。今に始った事じゃ無し、はらなんかたててないわよん。心配しなさんな。」


加持はそのままもう片方の手もミサトの髪の中にすき入れた。そしてミサトに口付けた。


「ん・・・・。」


ミサトの手が加持の首に巻きつく。いつもの強い煙草の香りにそのまま引き寄せられる。


「毎日これしにきてくれたら、許したげるわ・・・。」

「ああ。」


遮光カーテンの外で、リツコは汗をかいていた。


「まあったく。たまんないのよね、こっちは。」







「あの件か。まあおまえの思ってる通りだ。明らかに狙われたんだ。おまえとした事がミスったな。」

「あのGの機関という事か。」

「だがもともと葛城という男はあそこの指導下に動いていたのではないのか。良くわからん関係だな。」

「どちらにしろ、この一件で他の組織も一斉に動き出すぞ。どうするんだ。こっちでガードしてやる事もできんことではないが。」

「その代わりに、というわけだ。」

「そりゃな。だがおまえの所属機関となれば話しは自ずと。」

「判明し次第全ての情報はUNに流す。そういう条件でどうだ。」

「あまり信用できん話だがまあいいだろう。どっちにしろ機関同士では筒抜けになる。牽制できるだけでもだいぶお得というわけだ。」




「ゲヒルンの常林に接触したい。」

「ちょっと待て。おまえの女を襲ったのがあそこである事を知らないわけではあるまい。」

「だからこそだ。これ以上危険を犯したくない。ジョイントとしてはやりがいのある仕事だろうが。
実際の危害が起こらぬようにするにはどうしたらいいか。俺もいろいろ考えた。」


電話の向こうの主がたじろいだ。


木を隠すなら森の中というわけか。しかし土産があの女だけではつらいな。」

「俺の価値を込みでどうだ。所属を移すぞ。窮鳥も懐というわけだ。同伴組織っつうのはどんなもんだ。」

「エージェント特Aクラスの人間として査定される。これでいいという事かな。だがダブルエージェントとしての経歴は有利にだけ働くとは限らんぞ。
女がおまえの弱みである事も知れてしまう。それは人質的効果はあるがな。
正式に軍所属になる事を求められるが、現在それは確実に実行されつつある所だし問題にはなるまい。
相模食堂と日進堂が手伝いする。敵性分子は排除に動く事にするというところで手を打てるだろう。」

「やりすぎるなよ。同じ組織の中だ。昨日までの仲間を今度は消すわけだからな。」

「ふ、諜報3課が仲間なものかよ。つい先日もうちの外事公館ひとつ売りやがって7人消耗だ。」

「それはあんた達もおなじだろう。サハリンの一件では分室を潰してるじゃないか。しかも内調の連中までもセットと来た。」

「命令下での行動はその作戦を成功させる事のみが優先される。同じ組織にいるメリットは単に予算がついている事に過ぎん。」

「ま、素人には分かりにくい理由だな。内調は半分は公的機関だ。ミミズにたばかられれば腹も立つだろう。」

「貴様のどこがシロウトだ。ミミズが耕さなきゃ何も収穫できんことも良く分かっているような奴が。」





「就職ぅ?もう決めてきちゃったって言うの?」

「ああ、政府の金融機関系のまあ、融資の調査会社だな。それでなぁ、いい職場なんだよ。ぐらまらすな姉ちゃんもいっぱいだし。」

「狙いはそれね。」

「い、いや、そんなことはないぞー。俺の卒論のテーマである低開発国の産業基盤整理における投資効果と地域社会構成の変容、
にも役に立つしな。サブの研究の方も。」

「あんなくだらない物にまだ関わっていたの?もうとっくに・・・ちょっと、役に立つってどういう事よ。」

「来月早々からすぐにきて欲しいそうだ。だいぶ仕事がたまっているらしい。仕事をしながら卒論も上げられるというわけだ。」

「政府系金融機関の融資調査ってどこに・・・。低開発国っていうと。」

「さしあたりはインドネシア近辺の民族単位国連信託統治領かな。今世紀初頭にばらばらと立ち上がったところに大分つぎ込んでいるからな。」

「あんなテロの巣みたいなところに行くっていうの?」

「すぐって訳じゃない。まずは研修を受けて語学から医学までなんでも一通りやれないと困るらしいからな。」

「研修ねえ。それで私に相談ってなによ。」

「受けてみないか、そこ。おまえも。」





「みごとにつりあがって来たそうじゃないか。それとも知っていて飛び込んできたのかな。」

「頭のいい魚は役に立つ。定置網というのを知っていますか。」

「先頭の2,3匹だけは逃げ出すチャンスがあるという、あれか。」

「チャンスだけは。残りは一網打尽ですがね。」

「しかし・・・・、枝のついている可能性はどうなんだ。それだけの男なら。」

「そのための人質という事かな。自分で連れてきました。」


サングラスを光らせてにやりと赤い口が開いた。


「ほう。我々の手をしっかり読んできたか。なかなか優秀だな。」

「先生、あの男のことは頼みましたよ。」

「ああ、もしかしたら教え子になっていたかもしれない青年達だ。おろそかにはあつかわんさ。成績も抜群じゃないか。」

「あの子もきますよ。優秀といえばこれほど優秀な人間もいないでしょう。」

「あの子?」

「そう。いつも母親の白衣を後ろ向きになると睨んでいたあの子ですよ。私も大変憎まれていたようだったが。」

「相変わらずの露悪趣味だな。もっと楽に生きられんのか。」

「あいにくそれは禁じられているものでしてね。」




「このごろ葛城先輩付き合いが悪いなあ。あの人がいないとのりが寂しいよ。」

「前は、ゼミ室の掲示板に飲み会のお知らせを張っておけば必ず現れたのにな。」


ゼミ棟の喫煙コーナーで、2,3年生がぼやいている。ミサトは結構人気のあるお姉さんだったようだ。


「ああ、葛城さんは就職が決まったとかでもう研修に入ってるってどこかで聞いたわよ。」

「へえっ!もう?」

「あれでも成績は主席クラスだったから4年の単位は要らないらしいし、早々と研修に入って実際に入社する頃には
エリートコースまっしぐらか。」

「最後までカッコイイなぁ!」


その場にいた、若い講師がにやりと笑った。


「まあ、あのクラスになると、文字どおり大学は腰掛けなんだな。日本の制度の方が追いつかないんだ。
研究員になるような人間に今更卒業資格が要るとおもうか?」

「まあ、無用だあね。」

「だから、どんどん外国へ早熟な若い人材は流れるわけか。」

「国内に残るのは、鈍才だけか?俺達みたいな。」

「そうでもないさ。スロースターターにはその方がいい事だってある。要はいつまで続けていられるかとかな。」

「つまり、諦めの悪い奴が残る事もあるって事ですか?」

「そういうことだ。楽に流れるなよ。天才じゃなくても勤まる事、天才じゃ勤まらない事がいっぱいあるんだ。」





「加持!これは一体なんなの?こんな機械だらけの施設で私達何の研修を受けるっていうのよ。加持っ。」

「申し訳ありません。この電話は加持さんの部屋にはおつなぎできません。」

「えっ!なによあんた。交換手!?」

「加持さんは既に研修に出発されています。あなたとはコースが違いますので。」

「うそっ!!加持はそんな事一言も言ってなかったわよっ。ここを出しなさいっ。私はこの研修は受けませんっ。帰ります!」


その時、ドアが開いた。とっさに飛び出そうとしたミサトの前に、小さな女の子が立っていた。


「お姉ちゃん。どうして帰りたいの?あんなスラムのような不潔なところへ。」

「あそこが、あそこが私を抱き留めてくれるところだからよっ。」

「ふーん。でもね、お姉ちゃんはもう大きくなっちゃたんだよ。もうあそこにはいられないの。だってもう大きすぎるんだもの。」






オオキスギル



モウイラレナイ



ツカエナクナッタモノカラジュンニショブンシテイケ



モウイラナイ



「シンクロ、外れていきます!」「現在SUC濃度0.03マイクロ。」「もう少し上げっ」「0.1ml投薬。終了。」「電圧上げろ。」

「心拍数上昇。」「悪性症候の兆しが現れ始めました。」「アンタゴニスト投与。1ml。終了っ!」「THS上昇。」「だめかっ。」

「電源落とせっ」「脳圧下がります。」「心拍数低下。」「だめだ・・・・この子も使えん。」


「処分しろ。」


ショブンシロ


ショブン・・・





「加持。私、あんたを待っているのに・・・・。」





ミサトが倒れた後ろから、ガス銃を構えたまま、サラリーマン然とした男が現れた。



「ご苦労様。手伝ってくれてありがとう。」

「大人ってばっかみたい。自分一人の心の中も自分でコントロールできないなんて。」

「まあ、いろいろ複雑なのさ。」

「馬鹿になっちゃうなら、大人になんかなりたくないな。あたし。」



・・・・・おとなになりたくないか。まあ、君たちは大人になる事は多分ないんだがね。





静かな夜がその住宅街を包んでいた。

電話が鳴っている。

誰もいない部屋に残された、古めかしい留守番電話が静かに鳴っている。

かちかちと点滅が切り替わる。


「捕まらないので、伝言を入れておきます。ミサト。わたし研究室引き払ったからね。暫く会えないと思います。そのうちこちらから必ず連絡するから。
HPのURLだけは残しておくから。そこからパスワード手繰ってみて。うまくすれば連絡が取れるかもしれません。日本にはいなくなるとおもう。母の、
母さんの仕事。引き継いでみたい。どうなるのか、まだわからないけど。やれるだけやってみる。ミサトもがんばって。加持くんにも宜しくね。じゃ元気で。」


通話が切れた。


畳に、夜目にも家具の跡がはっきり残っているのが分かる。からっぽの押し入れ。空っぽの靴箱。冷蔵庫の足の跡に漏れた水の跡。

カーテンのなくなった窓が、風に僅かな音を立てている。置き捨てられた流しの三角ごみ捨て。ベランダのロープと洗濯挟み。

ドアにかかったガスと電気の供給停止のはがき。新規加入者へのお知らせが風に揺れている。


この部屋にあったかもしれない愛。

睦みあい、しがみつき、なじりあい、身体をうねらせて愛し合った思い出。二人の汗と体液が染み付いた部屋。

そんな二人の記憶が、まだ残っている部屋の二人の香りの中に、寂しげに漂っている。



表札入れに書かれた、KAJI&MISATOの文字が半分ちぎれていた。



こうして、いつのまにかその町内から2人は消えていた。仲の良かった魚屋や酒屋が二人がいつのまにかいなくなった事をいぶかしんだが、

大家の老人が長男のところに引き取られ、アパートが取り壊されてしまうと、もう誰も彼らの事を思い出す者はいなかった。


二人の記憶は日常の中に消え去ってしまった。








その日も朝から空は晴れ上がっていた。まだ5月の終わりだというのに既に気温は30℃を各地で越える日が10日も続いていた。


「暑いですねえ。」

「ほんとに。なんか妙な雲も出ていますし。」



「地面から、熱気が吹き上がってくるような暑さでんな。」

「まー、これから出なあかんのに、たいぎな事ですわ。」






その日の午後12時39分。

箱根を震源とする関東、東海、中部全域でM9.1の観測史上最大の地震が発生した。

東京で観測した最大振幅20〜46cm.地震後火災が発生し被害を大きくした。全体で死・不明94万2千余、家屋全半壊89万4千余、

焼失200万7千余.山崩れ・崖崩れが多く、多摩の丘陵地帯では住宅地ごと地割れに飲まれたところもあった。水没していた旧市街の外側

高円寺、荻窪、町田のラインから外側は軒並み高潮に襲われ、2m近い潮が三鷹付近までを海に飲みこんで溺死者を増加させた。

火災と潮に挟まれた旧都民は神奈川埼玉に流れ込み、その混乱の中で保安機動隊、自衛隊と一部暴徒が交戦に入った。

房総方面・神奈川南部は隆起し,東京付近以西・神奈川北方は沈下した。相模湾の海底も小田原−布良線以北は隆起し南は沈下した。

関東沿岸に津波が襲来し,波高は熱海で20m,横浜で13m。千葉で11m。勝浦で18mに及んだ。三宅、八丈、新島が猛烈な噴火を開始。

富士でも水蒸気爆発が繰り返され、少しづつ山容が変化していった。


同日12時58分。

僅か19分後に今度は南海トラフを震源とする関西四国中国全域が、M8.5の激震に見舞われた。

潰家60万,流出家屋20万余。震害は東海道・伊勢湾・紀伊半島で最もひどく,津波が紀伊半島から九州までの太平洋沿岸や瀬戸内海を襲った。

津波の被害は高知が最大。波高は29mにも及んだ。室戸・串本・御前崎で地盤が1〜4m隆起し、高知市の東隣の地、約30平方kmが
最大4.3m沈下した。

熊野灘各地も10〜20mの津波に襲われ、全村全滅の村が18村以上確認された。和歌山、大阪にも震害が大きく、全体の死者は
近畿全体で直接の害が

120万以上に及び、火災と津波がそれに拍車を掛けた。

愛知、三重地区では半水没していた沿岸のコンビナート群が連鎖爆発を起こした。何とかその機能を維持していた化学コンビナートは全滅しその生産能力を失った。

巨大な防潮堤もそれ自身が破壊され、折りからの高潮が津波の波高に加わり濁流となって名古屋を襲った。

水上生活者の小型船と貯木場の丸太、大型の停留タンカー群が一度に堤を破壊しながら殺到し、地震による被害の数十倍の被害をその一円にもたらした。



遠州灘沖および紀伊半島沖で二つの巨大地震が同時に起こったと考えられ
、2ndインパクトの被害が比較的少なかった阪神名阪地帯は完全に壊滅状態となった。






つぎつぎと、急速に多くの事象が積み上げられ、逆巻き、高空に向かって風の通り道を形成する。

小さな複数の渦が逆巻いて通り過ぎると、その数本が集まり、合体し、また巨大なひとつの渦が形成されていく。

むくむくと真っ白な積乱雲が盛り上がっていく。

そこにさまざまな、意を隠した悪しき物達が共に巻き込まれて行く。それが約8000mから10000mに達すると、彼らは
この世にさまざまな害悪を流し込む為に

爆発的に増殖を開始する。

まるで、Woolpackが投げ上げられ、積み重ねられていくように、積乱雲が増殖していく。



真っ白な入道雲の下、生きるためのし烈な戦いが再び始った。


















Woolpack/終/15-6-00






こめどころさんから7ヶ月ぶりに新作を頂きました。
首を長くして待った甲斐があるというものです。ブランクを感じさせない凄みと緊張感、
そんな中にも暖かさがある、そんな感じがします。
この先どんな困難が待ちうけていても、こめどころさんなら2人を幸せにしてあげられるのでは
ないか、そんな気さえしました。
次回の更新も気長に待つことにしましょう。きっと想像を超える作品が生み出されてくるに
違いありませんから。感想をぜひ掲示板に!(管理人・鳩矢)