TETSU(中編)
「お客さまお待たせしました、それではいよいよ3回戦、青コーナーより、
西野鉄丸!!」
体重などのデータがないのは無差別級だからだそうだが、ある程度の
調整はされるという。
「続きまして、赤コーナーより、江本大樹!!」
と、登場したのは1年ぐらいの一見野球少年風の坊主頭だ。
鉄丸より更に髪が短く、頭皮も日焼けしていることから運動部なのは見て取れた。
多分髪の毛を伸ばせば今風の子役としても通用するような顔だちは
鉄丸とはいかにも対照的だ。
それも興行主の意図するところなのだろうか。
トランクスとシューズも分かりやすく白に赤ラインが引いてあるデザインのもの。
トップロープを颯爽と飛び越えてリングに降り立つと、シャドーボクシングを
軽快にしてみせる。
無駄な肉が一切ついていないこと、そしてこの動き…………。
素人目にもボクシングを多少はかじっていることは明らかだった。
体格こそ鉄丸に有利だが、そんな憂慮は主催者も相手もしていないようだ。
「アイツは…………」
「ああ、地下ジムで鍛えてるんだ、まあ手強いぜ」
「へえ、相手にとって不足はねぇな」
「…………その反応、嬉しいねぇ」
リング中央に呼ばれる二人、レフェリーは体格がずんぐりしてはいたものの、
顔だちから察するに同じ中学生ぐらいに見える。
「お互い、反則とかには十分気をつけて!!」
と突然、大樹は
「へへっ、オマエ、今夜はどうしたいんだ?」
「!?」
質問の意図を理解しかねている鉄丸にじれったそうな口調で、
「そっか、オマエ今夜がデビューか。説明してやんよ。
遊びでボカスカやりたいのか、マジファイトか…………いや、
もっと他の方法でオレと楽しみたいのかってことだよ」
と説明する。
弛んだ口角でそれがどんなものか鉄丸は直感的に理解できた。
「なっ……………」
ここはそういう場なのか、と驚く鉄丸。
「ファイッ!!」
気持ちを整理する暇もなくいきなりのゴング。
いよいよ試合開始だ。
鉄丸の鼓動がじわじわと高まっていく。
ボクシングはゲームセンターやテレビゲームでやるたびに、一度現実に
やってみたいなというのはあったが、いざこうして念願かなうと動揺してしまう。
観客席から全身が焼け付くかのような視線の集中、キュッキュッ、という
体育館でバスケをやっている時のようなシューズの音。
経験者である大樹のことを考えると、闇雲に打ちに出ても返り討ちに遭うだけだ、
そう判断した鉄丸は不本意ながら慎重な態度で大樹を睨み付ける。
一方大樹は、普通そこいらにいる中学生なら、飛ばされただけでビクビクして
しまう鉄丸のガンにも動じる事はなく、むしろ余裕の現れか、口元を緩めすらしている。
そのことがひどく鉄丸のプライドを刺激する。
このまま一気に特攻したい、その衝動を理性の全てをもって抑制する鉄丸。
薄暗い観客席から見上げるリング上の大樹、足の関節からシュッとふくらはぎに
かけて伸びるラインが芸術品のようにの美しいカーブを描いている。
まるで弦楽器か、和弓のような張りがあり、そのしなやかさは軽快なフットワーク
にも反映されている。
中学生と言えばまだ肢体に幼さも残る年頃で、大樹もその例外ではないが、
それでも腹筋だけは柔らかく、そして硬く鍛えられている。
上から吊られた白熱灯の光でその六つに割れた腹筋のシルエットが浮き彫りになる。
そして、それを包む健康的な肌には、霧吹きで吹き付けたようなきめ細かい汗に
包まれており、時折上半身から大きな滴がしたたる。
目で上半身を追うのは大変で、しかしパンチをくり出す度に、大粒の汗が
キラキラとスパンコールのように周囲に飛び散ってはマットに落ちる。
一方鉄丸は、これまでの喧嘩とは全く勝手が違うリングという闘いの場に
未だに要領が掴めないまま、ほぼ自分の経験則と、強靱な基礎体力で
懸命に持ちこたえようとしている。
観客席からは、経験のない鉄丸のそういった底力を評価する者、大樹にKO
されるところを待ち望んで両の拳を握って凝視する者、そして手でメガホンを
作って、酒で上ずったダミ声で無責任な指示やヤジを飛ばす者など。
鉄丸にクリーンヒットする度に歓声が起こる。
『クソッ、ココの観客は殆どコイツの応援かよ』
そう思うと余計に腹が立ってくる。
しかしそれは好都合、闘志さえあれば絶対に負けない、と鉄丸は思い直し、
相手のスタミナが消費されるのを待つべく持久戦に持ち込もうと決める。
積極的に打ち合うのをやめたことは観客にもすぐ伝わった。
「何やってんだコルァ!!!逃げてんじゃねーぞチビデブ!!」
「そうだそうだ、怖じけ付きやがってこの野郎!!」
「俺たちは打ち合い見に来てんの分かってんのか!?」
それを咎める声が相次いだ、がそんなことなどいちいち気にしない。
持久戦だ、持久戦にさえ持ち込めば勝ち目がある…………。
と、そこで1R終了。
大して打たれることもなかったが、何しろ息が切れる。
ドサッと丸い椅子に座った途端、ハアハアと大口を開けて酸素を貪った。
ドサッ、と無造作に椅子に座るやいなや、セコンドの親父がニヤニヤと
「どうだ、大樹は」
「あっ、あんなのアリかよ…………」
「へへへへ、何言ってやがる、ココはテレビに出てくるようなリングじゃねぇって
言ったろうが」
「ぐぅっ…………」
こんな姿を見せ物として晒される屈辱感、しかしそれよりじわじわと大樹の魔手に
犯されていく自分をどうしていいか分からない。
大樹は自分のセコンドと談笑しながら作戦を練っている様子だ。
「随分余裕見せつけやがって…………」
「大樹はファンが多いからな。ファイトマネーの他にも後でいろいろイイ仕事
してくれるから、トレーニングの費用も掛け甲斐があるってもんよ」
地下ジムでの英才教育、というわけか。
確かに横には、割腹のいい親父ら数人が笑顔でケアをすべく囲んでいる。
「何て野郎だ、全くヘドが出るぜ…………」
冷たいタオルで上半身の汗を拭かれる。
「どうだ、気持ちいいだろ?」
「ウッス」
とりあえずそうは答えたが、チラリと俯いていた顔をグイッと正面に向けると、
大樹が笑顔で トレーナーと談笑しているのが見えた。
『クソッ。余裕見せやがって』
ボクシングの経験の差がここまでの体力消耗という形で反映するなんて………。
歴然とした格差を思い知らされる鉄丸。
ほぼ同い年でも現実はこんなに歴然とした差があるのに、学校の教師ってのは
どうしてみんな、ハンをついたように平等、平等を口にするのか。
やり場のない怒りが込み上げてきて止まらない。
しかしまあそれも、変な親父にノコノコついて行かなければ良かっただけの話だ。
そう思うとまあ、何とか自分の中の折り合いはつく。
それよりどうやってアイツに勝つか、だ。
テクニックではまず叶わないのは分かっている。
しかし基礎体力、そして腕力でいえばまだこっちに分があると言える。
何かセコンドが指示しているのは耳には入ってはいるが、言葉としてではなく
ただの音声としてしか聞こえない感じだ。
たった数秒のことなのにとてつもなく長く感じられる。
というか、このセコンドはどんな展開を期待してこんなことを言っているのか。
俺の勝利なのか、それとも…………?
意図を考えあぐねていたところに、
「オイ、聞いてんのか鉄丸!!」
「えっ、ああ、聞いてるよ」
「しかしお前もバカなヤツだな、相手が経験者と分かってりゃあ、
マジファイトを選択しないテだってあっただろうよ」
「うるせぇ、適当にゴッコで遊んでKOされるなんて、俺はピエロなんかじゃねぇ」
セコンドはちょっとため息をつくと
「まあいいか、たまにはそういう試合もねぇと、観客も満足しないからな。
ただ、ヤバいと思ったら降参するんだぜ」
降参?
味方であるセコンドも自分の勝ちはないと思い込んでやがる。
それがとても屈辱的な感触で仕方がなかった。
「セコンドアウッ!!」
レフェリーの合図で鉄丸はスクッと立ち上がった。
インターバルがもう1分欲しい、体力的にそう思った。
2R開始、幾分体力は回復したとは言え、完全ではない。
レフェリーはそんな鉄丸の様子を注意深く見守る。
いかに地下試合で本気モードとはいえ、シャレにならない展開になって
しまってはそれも困る。
口を真一文字にギュッと結んで相手を睨み付ける鉄丸、大樹に比べると
短いリーチながらかなり健闘している方だとは思った。
ブンブンと空を切るパンチも当たればそれなりのダメージは与えられるだろう。
しかし、そこで足下がもつれ、大樹を押し倒すような形でリングのロープに
突っ込んでしまう。
二人の若い肢体が重力で密着する。
鉄丸の脂肪に包まれた胸筋の盛り上がりを大樹は文字どおり肌で感じた。
吸い付くような鉄丸の肌を、両肩を押さえてグイッと両手のグローブで剥がす。
日本刀のようにシャープな印象の大樹の肉体は、その弾力の高さから
直感的に妖刀を連想させた。
そう、常に人の血を求めて狂気を孕んだ魔性の刃……………。
「スリップ!!」
レフェリーが割って入るが、
「オイオイ鉄丸、今はまだ試合中だぞぉ!?」
という茶化したヤジと、それにつられた笑い声が観客席に広がった。
大樹も一緒になって笑っているのが悔しい。
鉄丸も、やや体脂肪が乗っているものの、これを上手く削ぎ落とせば、
ゴムのような弾力を兼ね備えた鋼鉄の筋肉がむき出しになり、重量級と
呼べる体格になるのはレフェリーの目にも明らかだった。
意志の強そうな黒く太い眉、不良特有の眼光はいかついものの、憎めない
表情を見せるあどけない顔だち。
試合再開、黒いトランクスが大量の発汗でジットリと濡れ、光沢の質が変わる。
それが長く通っている観客にはたまらない見どころでもある。
昼間にガブ飲みしたスポーツドリンクがどんどん汗になって胸から額から、
滝のように流れ出し、髪はまるで黒い柴犬がビショ濡れになったようだ。
「フンッ」
大樹の細かいジャブが数発打ち込まれて、それがやっと勘が掴めたように
避けられるようになる鉄丸。
それから自分も数発続けざまに打ちに出るが、そっちは軽く流されてしまう。
しかし更にワンステップ、ツーステップと追い込んでいく鉄丸。
「どうした大樹、追い込まれてるぜぇ!?」
と、そこで急峻なアッパーカット!!
オオオーッ、とあちこちの観客が席から立ち上がる。
鉄丸の視界はカッと照りつける白熱灯、そして真っ暗闇だった。
ドサッ、と派手な地響きがマットから起こり、フラッシュがバシャバシャと
焚かれる。
観客の大半が期待していたシーン、それが現実のものになったのだ。
「すぐにニュートラルコーナーに戻って!!」
レフェリーの指示で、大樹は一度鉄丸の顔を覗き込むと、観客の声援に
両手を上げて尻を振って応えてみせ、それからやっとリングロープに
体をもたれかからせる。
(続く)
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