夏の日の思い出

 

第四話 試合開始

 

畜生、どうしちまったんだ、朝からどうも体調がおかしい。

いつも同じ重さのランドセルに、まるで鉛でも入れられているみてぇだ。

今日こそ純の野郎を好きなだけブン殴って、最後はいつか試してやろうって

決めてた、俺の必殺パンチで沈めてやろうってわくわくしていたのに・・・・。

駄目だ駄目だ駄目だ!!

ちょっとでも体力鈍ってるとこなんか勘付かれたらマジカッコ悪いもんな!

気合いだ、気合い!

こういうのは俺の気合いが足りないからもう一つ調子が出ないんだよ。

そうに決まってる。

だってさ、昨日の学校、一日中そういうイメージトレーニングでワクワクしてたし、

きっとそうだよ、夜ふかししすぎたのが原因かもな。

運動会の前の日とかなかなか寝られないもんだしな。

だけど昨日はうまいもんたらふく食って栄養はばっちりつけたし、夜あんまり

遊ぶ気にもなれなかったし、原因はきっと寝不足なんだよ。

にしても、純の奴・・・・・・。

 

砂浜に純は制服姿で現れた。

夏場の海岸なんて人目につくんじゃないかとも思ったけど、海開きにはまだちょっと

時間がある。

大体、肝心のリングは松林の中だもんな。

誰も来るはずねぇよ。

「よくビビりもせずに来れたよな、誉めてやるよ」

純はいつになく、きゅっと口元を引き締めて制服を無言で足下に脱いだ。

水泳の時もそう感じていたけど、やっぱり純の体は筋肉の付き方が足りなくて、

男としてはこっちが可哀想に思えてくるぐらいだ。

きっと、本格的にスポーツとか全然したことないんだぜこいつ。

そんな純が今、俺みたいな筋肉ムキムキ、喧嘩じゃ負け知らずでスポーツ万能の

天才ボクサー相手に勝負を挑んでくるなんて・・・・・・・。

いや、だけどこれはもう決めたことだからな。

純はそのまま水泳パンツ一枚になって

「これからどうするの?」

俺も下着のトランクス一枚になって、

「やるに決まってるじゃねぇか!!」

グローブを純にも手渡すと、松の木にロープを張ったリングに先に入って

シャドーボクシングを始めた。

「コレで逃げ切れなくなったからな、へっへへへへ」

「逃げる!?それって、力丸の方じゃないの!?」

口ではそんな強がっていたものの、ひざがカクカク震えてる様子で、俺にビビってい

ることなんかバレバレなんだよ。

純もそのまますぐにリングに入ると、首をぐるぐる回して、パスンパスンとグローブ

を叩き合わせた。

にしても、コレが本当に闘う男のツラかよ。

いよいよ試合開始だが、その前にルールを説明してやる。

「いいか、ルールは1R3分、休憩1分の12ラウンド、カウントや判定は一切ねぇから、

ワザとダウンしたって無駄だかんな!完全に気ぃ失ったら勘弁してやるよ・・・・・

俺が万一12Rかかってもオメー殺せなかったら俺の負けだ!一生オメーの舎弟になっ

てやるよ!」

額をくっつけられても、純は目をそらさない。

「じゃあ、明日っから力丸に何して貰うか考えないとね!」

なっ、何を!

「ふん、まあいい・・・・試合開始だっ!」

しかし、実際こんな具合に試合って形でグローブ握るの初めてなんだよな。

純相手っていうのがちょっと不満なんだけど、何かこう、プロボクサーになったって

気分だぜ・・・・・・。

将来の世界ヘビー級チャンピオン、ファイティング力丸様のデビュー戦だ!

だっ、と純目掛けて突進する。

こんな奴、一撃で終わりだっ!!

まっ先に純の横っ面目掛けて右フック、しかし純はひょいっとそれを避けると、

足を使って横に回って、ぺしぺしと腰の入らないジャブ。

「てめぇ〜〜〜!!」

こんなの効きゃしない、ただ、先手を取られたことが妙に俺のプライドを刺激した。

純は更に、がっつんがっつん殴り掛かってきて、まるでいつものような弱っちい

表情なんか見せず、まるで別人のようだった。

でもやっぱり案の定、腕力なんかまるでないから、全然痛くもねえけどな。

「このっ・・・このっ!!!」

調子にのりやがって!!

「げふっ!?」

パアン、と高い音を立てて、純の体は左側のロープまであっけなく吹っ飛ぶと、跳ね

返される

形でどさっと地面に崩れ落ちた。

「ど〜だ?お前がちょっと小手先のテク身につけたって、パワーってもんが違うんだ

よ!」

どうだこの野郎、これが俺の本気のパンチなんだよ!

純の体を足で転がしながら、

「どうなんだ?今頃になって恐くなってんだろ?ああん?」

「この・・・・」

おっ、まだやんのか・・・・・根性あるんだなこいつ・・・。

普通の野郎なら、これで半分ぐらいは戦う気力なんか完全になくして降参するって

いうのに、コイツなかなかやるじゃん!

「さあ立て!カウントはとらねぇぞ!」

それからやっと、体力が回復したらしい純は、首を大きくぶんぶん振ると

「こっ・・・・こんなの平気だいっ!」

何1分近くもダウンしてて言ってんだよ、普通の試合ならとっくにKO負けだぞ。

それにしても、純の奴、ちょっとは研究していたんだな・・・・・。

もつれた足でどうにか踏ん張って、両手でロープを掴んでやっと立ち上がる純。

へへ、そうこなくっちゃな。

けど、おかしい・・・・・と俺は思った。

だって、純ってこんなタフか?

俺さ、これはハッキリ自慢しとくけど、右一発で中2の奴気絶させたことあるんだぜ!?

それも、身長なんか結構あってよ。

なのにこれはどういうことなんだ!?

何かが確実に狂ってきている。

確かに寝不足で体調崩してるったって、ここまで体力落ちてくるか!?

「えっ・・・・?」

パン!パパパン!!!

さっきまでぐんにゃりしていたとは思えないぐらい、大胆に懐に飛び込んできやがる・

・・。

純の生っちろい体が俺に密着してきて、胸の辺りに荒い息が思いきり当る。

ロープに追い詰められたまま、まるで相撲のようになって、今まで俺を責めあげてい

た長い両腕が、ぐいぐい俺の体を締め付けたかと思うと、横っ腹にボディー連打!

「うげぇ!!!」

こりゃキツい、そう思った俺は純を突き飛ばすと、

「このぉ!」

「おっと・・・・・同じ手が二回も通じるかよっ!!」

しかし、気負えば気負うほど、ブン、ブンとパンチが空を切る。

俺がパンチをくり出す、そのヒ?するかしないかというぎりぎりのところで

純の体がふっと透ける、そういう表現がぴったりで、気がつくとリーチが届かない

ところだったり、死角だったり。

まるで幽霊を相手にしているような感触だった。

「ちゃんと見て殴れよ!」

純の表情が、してやったり、という調子でほころぶ。

じわじわと冷静な思考ができなくなっていく。

もはや、俺は純の掌の上で踊らされる孫悟空にすぎない、と思いはじめる。

一撃だ、一撃でも当てれば俺の勝ちだ、そう思えば思うほど、動きは大味に

なってしまう。

しまいには振り上げた拳を斜に下ろしてみたり、フックが曲がらなかったり。

「ほらほら、こっちこっち!!」

「うおおおおおおお!!!!」

しかし、スピードは完全に純の方が上だ。

この野郎、今度は逃げの一手で時間稼ごうとしてやがる!!

途中から、それが体格差のある純の策であることは分かりだしてきたが、そんな

ことが分かったところで、パンチが当たる訳ではない。

空振りするたびに、大豆みたいな汗がまき散らされて、どんどん息が切れてくる。

まずいぞこの展開・・・・。

すぐ目の前に見える純の顔は、結構腫れているみたいだけど、これといったダメージ

もない様子で、まだ相当ピンピンしてやがる。

それも全く納得がいかねえ。

さっきクリンチの感触じゃあ、純の体は筋肉も脂肪も普通より少なめで、別の意味で

ごつごつしていて、とてもあんな精力なんかあるわけないのに・・・・・。

気がついたら、俺は防戦の一方で・・・くそっ、こんなの最高に恰好悪ぃ・・・・。

そこでタイマーが3分たったことを告げた。

純は自分のコーナーに戻ると、ぺたんとへたりこんで、はあはあ大息をつくものの、

上目遣いで俺に闘志をつきつけてくる。

俺だってそんなの負けられるかよ・・・・・。

にしても、俺のダメージってどういうことなんだ!?

あんな細っこい腕の純に、俺をここまで追い詰めるパンチなんか出せる訳がないだろう。

それにこっちもズルいっていやあズルい勝負に持ち込んでたんだよな。

ボクシングって体重で細かく階級分けされてるんだろ、俺と純じゃあその体重

だって倍近く違うっていうのに・・・・・・。

「オラッ、ボディー!!」

「うげえっ!!」

や、やべえよ、へなへなパンチでも受け続けたらこんなに効いちまうもんなのか!?

これはもう錯覚じゃない、と俺は感じた。

純の口元が怪しく緩む。

あの野郎、グローブの下に鉛の棒でも握ってやがるのか?

違う、これは大汗と、これまでに空振りをしたパンチによる体力消費だ・・・・。

しまった、と気が付いた時にはもう遅く、体力が半分以上失われた体を容赦なく純が

攻めていた。

まるで人格が変わってしまったかのように獰猛さを見せる純。

純はニヤニヤしながら、クイクイと右手で招いて俺を挑発する。

畜生、ナメやがって!

そうは言っても、もう殆ど体力が残ってない。

だけど、今やっと気がついたけど、純、リーチが長過ぎる・・・・・・。

「うおおおおおお!!!!」

ガツン、と鼻に強烈なカウンター!

「うがっ!!」

一気に上半身鼻血まみれになりながら、俺は思わず必死に地面に踏ん張って姿勢を・・・

ボコオ!!!!!

グラリ、と世界が揺れた。

なっ・・・・・・。

グニャリ、と景色が歪んで、目の前が真っ暗になり、ドサッと地面に崩れた。

馬鹿な!

そんなことがあるわけないだろう!?

だって、だって相手はあの純だぜ!?

純の右がこんなに効く訳が・・・・・。

それに、スタミナが異常に減ってるってどういうことなんだ?

「まだ・・・・やれるんでしょ?」

はっとして見上げると、純はファイティングポーズを崩さないまま、俺を睨み付けて

いる。

「さぁ立て!それとも泣いて降参する!?」

畜生、どうしてこんな奴に・・・・・・・。

「ふざ・・・・けるな!!」

そうは言ったものの、腰から下の感覚がまるでない・・・・・・。

これが、これが『効いてきた』っていうことなのか?

純は自分のコーナーに戻って、必死に酸素を吸い込もうと激しく背中を揺らしている。

「立てないならボクの勝ちだ!」

「ばっ・・・・ばがやろ〜っ!!誰がそんな・・・・・・」

そうだ、ここで立たなきゃ俺は、俺は『男として』もう完全に誇りってヤツを純に

奪われちまう!

そんなミジメなことになったら俺、もう生きていけねぇよ!

そうだ、俺はココで負けちゃ絶対いけないんだ!

ぐっ・・・あっ・・・・・・。

鼻を押さえた右手のグローブから鼻血が垂れ落ちて、砂地にどんどんしたたり落ちて

いく。

しょうがないからグローブを外すとティッシュを詰めてしばらくぐてっと松の木にも

たれかかった。

くそっ、こんなことしているうちにも、純の奴は体力回復していやがるんだ・・・・・・。

けど、今日の純のスタミナはどういうことだよ、それに筋肉だって、少なくともこの

前の水泳の時よりもちょっと太く見える。

まるでプロテインか何かがぶ飲みしたみてぇじゃねえか・・・・・。

さあっと風が吹いて、散った蜜柑の白い花がこっちにまで飛んできやがる。

第3ラウンドの中盤になって、やっと俺は立ち上がれるようになった。

しかし、手首にも足首にも、肩にまで5キロぐらい重りをつけたように重い。

こいつ、もしかして、とんでもないハードパンチャーじゃねえのか!?

ここまで俺が追い込まれるんだから・・・・・・・・。

いや、それはない。

だって、コイツのスタイルはどう考えても、生まれて初めて喧嘩するような

感じだ。まず格闘経験があるはずがない。

「まだやるんだ・・・・・・・」

純の表情が『ボクサー』のそれに変わっていく。

こちらも体が純をやっと、『強敵』と認めはじめていた。

栗色がかったさらさらした女みてえな髪の間から、純の目が俺を獲物として

狙っている。

とにかく倒す。

それが俺の頭の中の大部分を占めはじめた。

(5話に続く)

読み物に戻る

トップページに戻る