夏の日の思い出

 

第一話 力丸との出会い

 

僕が家の都合で海辺の漁師町に引っ越したてきたのは、梅雨がちょうど

明けた頃で、夏休みを間近に控えた一番蒸し暑い時期だった。

空気もいいし、物価も安くて暮らしやすい、と両親からの説明があったが、

それより僕が気になっていたのは、見たいテレビの番組がこっちでもちゃんと

やっているかどうか、ということだった。

それに、新しい学校でうまくやっていけるのかどうか、ということも。

これは小学生なら誰でも考えることだと思うけど・・・・・・。

 

やっと昨日で引っ越しの荷物も片付いた。

東京のマンションに比べて、今度の家はずっと広くて、僕と弟の部屋まで

準備してくれたので、父さんには感謝してるんだ。

うちは小学校からも割と近いという話だったけど、東京に比べるとやっぱりちょっと

遠い感じで、そういうところで『ああ、田舎に来たんだなぁ』という実感に

なっていた。

「じゃ、行ってきまーす!!」

ランドセルをしょって、まだ寝ぼけまなこの弟の手をひいて小学校に走る。

お母さんは、迷うといけないから今日だけ車で送って行ってあげると言ったんだけど、

道ぐらいちゃんと覚えてるよ、と二人だけで行くことにした。

転校初日はちょっと早めにいらっしゃい、と先生に言われていたこともあって、

ちょっと今日は早起きで眠いんだよね。

「なぁ、昨日ちゃんと眠れた?」

弟の和也に聞くと、大きなあくびをしてから

「ううん、全然!何だか遠足の前みたいな気分だった〜!!」

と笑顔で答えた。

それにしても、あっちじゃ制服なんて、私立とかの学校しかなかったんだけど、

こっちじゃ普通の学校でもあるんだな、とちょっとびっくりした。

僕たちの小学校は、白いカッターシャツに黒い半ズボンで、ちょっとだけ

中学生みたいな気分で、それもうきうきしていた。

 

とりあえず、到着したらまずここで待ち合わせ、と言われていた学校の職員室に

二人で入ると、

隣の、生まれて初めて入る校長室はちょっと緊張したけど、担任の岸本先生も、

弟の担任の福田先生も、それから校長先生もにこにこしながら優しく迎えてくれて、

こっちの小学校のことについていろいろ教えてくれた。

「じゃあ、早くみんなと仲良くできるように、先生たちみんなで協力するから、

今日から毎日元気に来ようね!」

「はい!」

「うん、いい返事ね。じゃあ、そろそろ教室に行きましょう!矢島君のこと、

みんな待ってるわ!」

岸本先生は僕と同じ虎年で、まだ大学を出てすぐという話だったんだけど、

とても元気ですぐに気に入った。

「ここが今日から矢島君の勉強する教室よ!」

いざ教室のドアの前に立つと、急に何だかどきどきしてきちゃって、ちゃんと

人前で自己紹介できるかどうかすごく不安になってきた。

もし自己紹介で失敗して、変な奴だって最初に思われたらいじめられるかな、

友達ちゃんとできるかな、そんなことが一気に頭の中に浮かんできて。

でも、僕の表情が堅くなっているのが分かったのか、先生は

「平気よ。みんな面白い子ばかりだし、もし途中で詰まったら、先生どうにか

してあげるから心配しないで?」

そう言われてやっと、教室に入る決心をした。

 

僕が入るなり、教室のざわめきがぴたっと止んで、みんなから口々に、転校生かな、

みたいな声がしはじめた。

たっぷりと太陽の光が差し込む真新しい木造校舎は東京の学校とは違って小さいながらも

なかなかオシャレな感じになっていて、教壇から見渡した新しいクラスメートは、みんな

小麦色に日焼けしていていかにも元気そうだった。

教卓の横に先生と二人で立つと、

「はいみんな、おはよう!」

「おはようございまーす!」

・・・・・・何だって田舎の子はみんな声がでかいのだろう。

内心、それがちょっとおかしくて、やっと心の中の緊張がほぐれはじめた。

「はーい、それじゃ聞いてくれるかな?今日は、うちのクラスに新しいお友達が

来ることになりました!それじゃあ、自己紹介してくれるかな?」

「東京から来ました、矢島純といいます!」

・・・・・・・詰まった。

何を言おう。

自己紹介って言っても、後は何がある?だらだら長くなっても何か変だし、えっと・・・

誕生日?好きな食べ物?うーん、そんなの関係ないじゃん、えっと、えっと・・・・。

クラス全員がこっち見てるよ、どうしよう、自己紹介の言葉が続かないよ、と思って

先生の方を見上げると、後は適当な話をあっちでしてくれたのでほっとした。

やっとピンチから解放されて、僕は急いで席に座ると、授業の準備を始めた。

指定された席は、丁度海が見える窓際。

5年3組の教室からは、どこまでも広がる水平線と真っ青な空がたまらなく気持ちよかった。

 

「なぁ、一緒にドッジボールやろうぜ!!」

そう切り出したのは、隣の席の奴だった。

そいつだけ、1時間目の直後に僕の周りを取り囲んで質問責めしなかったので、

てっきり嫌われているんだとばかり思ったら、昼休みになっていきなりそんなことを

言い出してきた。

「えっと・・・・・・」

僕が相手の名前を知らないまま困った顔をしていたのが分かったのだろう、

「西野力丸。よろしくな、純!」

初対面なのにいきなり呼び捨てにされて面喰らったが、周りにいる男子もそれが

ごく当然のような顔をしている。こっちじゃみんな気さくなんだ、とその時感じた。

「あ、うん、よろしく、西野君!」

「ははっ、力丸でいいって!おい、グラウンド行くぞ!」

ぐいっ、と手を引っ張られた僕は、慌てて力丸の後をついていくしかなかった。

 

結局、その日は力丸が一緒に帰ろうって言い出してきて、帰り道で色んなことを

話したんだ。

力丸は体格は僕よりちょっと背が高くて、でもそれよりも、まるでプロレスラーみた

いな太り方をしてる。

つまり、がっしりしているんだけど、筋肉ムキムキって感じでもないしって

感じで、でも、確実にクラスで一番体重あるんだろうって思う。とにかく足も腕も首も

太いんだよ。

「でもさ、純って何かすげぇよなあ、算数だって国語だって、すっげぇ得意じゃん!

あ、でも、体育は断然オレの方が得意だけどな!」

そう言いながら笑う力丸は、真っ黒でつんつんと短い髪の毛に、ぷくぷくの

ほっぺた。目は一重で細くって、鼻は丸い団子っ鼻。笑うと白くて大きな歯が

口元から覗く。

「俺んち、ここなんだよ」

力丸が指差した家はかなり広くって、ちょっとびっくりしていたら

「あはははっ、驚いたかっ!?」

と自慢そうに笑った。

力丸んちは、お百姓さんをやっているみたいなんだけど、倉庫っていうのか、

そんなものが幾つかあって、敷地の中にもトマトとかなすびとかの簡単な菜園があって、

そこらへんに鶏が放し飼いになってていて、とにかく大きいんだ。

玄関の前で、倉庫からお爺さんが煙草をくわえながら野菜の仕分けをしていたので、

ぺこりとおじぎすると、力丸ったら

「おう、じいちゃん、こいつ、今日から俺の子分の純ってんだ!!」

とでっかい声で笑いながら言った。

力丸っていい根性してるよなあ、と心の中で苦笑していたら、

「こっちこっち!」

と、玄関の横の縁側の前で手招きしてから、力丸の部屋がそこだと分かった。

「お邪魔しまーす!」

僕が脱いだ靴を揃えていると、力丸は無造作に脱ぎ捨てると、

「何やってるんだよ、早く来いよ!!」

とせかす。

部屋に入るなり、ランドセルをベッドにドサッと放り投げると畳にごろんと横になって、

「ふう!やっぱりうちが一番だよな〜、勉強ばっかの学校は息が詰まるぜ!」

「力丸、授業聞かずに落書きばっかしてたじゃん!」

「ははっ、違いねぇや!」

げらげらと力丸は笑うと、立ちっぱなしの僕に、

「まあいいからそのへん座れよ、ちょっと何か持ってくるから」

と、どたどたと多分台所に走った。

それにしても、この散らかりようったら、こんなのうちだったらお母さんが絶対

許さないだろうってぐらいなんだよ。

ここのお母さんが何も言わないなんて、ちょっとびっくりだな。

教科書とかノートとかって、机の上に山積みになってるし、学校のプリントはあっち

こっちに散乱している。それから、ゲームのディスクにマガ○ンやジャ○プ、

フ○ミ通なんかの雑誌や単行本がもうすごいんだ。

きょろきょろ部屋を見回すと、ディスクで予想はついたけど、やっぱりプレ○テ2の本体と、

それに何よりうらやましいのが、ビデオの内蔵されたテレビが自分の部屋にあるってこと!

僕もお母さんにいつも言ってるんだけど、「そんなの置いたら勉強しなくなるでしょ」

とか、「小学生なのに贅沢すぎるわよ」なんて言われてそれでおしまい。

携帯電話持ってる子だって前の小学校にはいたけど、うちじゃそんなこと恐くて

とても言い出せないや。

っていうか、ここらへんすごい田舎だけど、携帯とか電波きちんと入るのかな・・・?

と、ちょっと楽になろうと足を伸ばして、お尻の側で手をついた瞬間、雑誌で隠れて

いたリモコンを押しちゃったのか、テレビの電源が入っちゃった!!

やっべ〜、何勝手に人の部屋のモンいじってるんだって思われたら印象最悪だ、

何とかしなくちゃ!!

慌ててリモコンを探して拾い上げた時、僕の親指はビデオの再生ボタンを押していた・

・・・。

 

・・・・・・・・・・!!!

 

僕は一瞬、自分の目を疑った。

こ、ここ、これって、これって〜〜〜〜〜!!!!

「お〜い、悪い悪い、母ちゃんの奴、麦茶冷やし忘れて外ほっぽったまんまでさ、

氷を・・・・・・・」

と、そこにベストタイミングで戻ってくる力丸。

僕の小学校生活は終わった・・・・・・・・・。

「ごっ・・・・ごめんなさぁぁぁい!!!」

とりあえずココは謝らなくっちゃ。

多分、マジで怒るぞ、殴られるかな、いや、絶対こういうタイプの奴は殴る!!

口では謝ってるんだけど、もう既に鼻の奥がツンツン痛くなって涙もスタンバイ

されちゃってるし、下半身なんか、もう飛び上がって縁側にいつでも逃走できる

ような準備が出来上がってしまってる。

「おっ、何だぁ、お前もこういうの、スキなのかよ、ええっ?」

見上げた途端、力丸はニヘラ〜っと、口元からあの大きな白い歯を覗かせて笑うと、

コップをその辺に置いてから、

「あっはははは、お前、女みたいなかっこしてるから、てっきりこういうのまだ

興味もねぇガキだと思ってたんだけど、なかなか見どころあんじゃんか!」

と、ぐいっと大事なところを掴まれた。

「いったぁぁぁぁい!!!」

「ぎゃははははははは!!!!やっぱし純クンも男だね〜?」

恥ずかしくて耳まで真っ赤になるのが分かった。

ていうか、さっきから何もなかったかのように流れ続けるビデオを止めないと、

もう恥ずかしすぎるよう・・・・・。

そう思って、ビデオを止めに手を伸ばすと、

「そっかそっか〜。純クンはソレ欲しくなったのか〜?なら貸してやるよ!」

「そっ・・・・そうじゃないってば〜!!」

「あっははは、何照れてんだ純?男同士でカッコつけてんなよ!男ってのはな、

こう、デ〜ン!!とどっしり構えてなきゃ駄目なんだぞ!ホラ!!」

デッキからひっこぬいて手渡されたビデオテープは、真っ黒でラベルも貼ってない奴で、

それはきっとどこかからのダビングに違いなかったけど、こんなもの貰っても・・・・・・。

「大丈夫だって、誰にも言いやしないから安心しろ!」

そういうことじゃ全然ないんだけど・・・・・・どうしよう。

でも折角だから、家族の誰もいなくなったらこっそりリビングで見ようかな・・・・。

「あ、ありがとう・・・・・」

「へっへへへへ、純、コレでお前も、ドスケベの仲間入りだぞ?このぉ!」

秘密を共有できたのが嬉しいのか、力丸はその太い腕で僕の首を抱き寄せると、

耳もとでそう言った。

こうして、ノーと言う勇気さえなく、僕は『ドスケベ』にされてしまった。

それから、ちょっと話題に詰まったので、取りあえず雑談の糸口を掴むために

僕は麦茶を飲むことにした。

にしても、MDラジカセとかさっきのゲームやテレビとか、力丸の部屋って

すごいな、と改めて冷静に見回す。

と、壁にかけてある黒いボクシンググローブを見つけた。

「あ・・・・・」

「ん?ああ、コレか?」

力丸もそれに注目していたのに気付いたようだ。というか、小学生の部屋にこんなの

なかなかないから、これまで部屋に来た奴はみんなこれのこと聞いてたんだろうな。

「あ、うん。ねえそれ、力丸のなの?」

「へっへへへ、そうなんだよ!」

もう、力丸ったら、よくぞ聞いてくれましたって得意げな顔でそれを壁から

下ろすと、いきなり半袖カッターと迷彩柄のタンクトップを脱ぎ捨てて、おまけに

ズボンまでぽいっとベッドの上に放り捨てると、紺と白のトランクス一丁になって、

グローブを両手にはめてみせた。

「どうだ?俺、世界チャンピオンみたいだろ!」

パンパン、と拳を叩きあわせる力丸だけど、この格好、言っちゃ悪いけど、

太り過ぎでダイエットにボクササイズの教室に無理矢理行かされました、って

感じにしか見えないよ〜!!

「ムッ!!何笑ってんだよ、純!」

「ああっ・・・・・いっ・・・・いやその・・・・・・」

「文句あんのか〜?今、お前、『こんなデブにボクシングなんてできんのかよ』

って笑ったろ!?」

自覚してんじゃん、力丸!!!!

タチ悪いよなあ、劣等感自覚しててかっこつけたがってんだから・・・・・。

って分析してる暇もなく雪崩式ラリアットでベッドに押し倒される。

「うぉりゃあああああ!!!ワーン!ツー!スリー!!!っしゃあ、勝ちぃっ!」

それボクシングじゃないじゃん・・・・・・・・・。

「げっ・・・げほっ・・・そんなこと思ってないよ、うん、本当!!最高キマってるって!」

咄嗟に言葉が出ずに、褒め言葉も思わず恥ずかしげもなく最悪の死語使ってるし。

「へへっ、そうだろ?まあ俺、K高のボクシング部で高校チャンプになってよ、

そのままプロになんだから、実戦しっかりこなす必要あるからな!純、

未来の世界チャンプの専属サンドバッグになりたかったらいつでもならせてやるぜ!」

そう言いながらシャドーボクシングをして見せる力丸。

うあっ、体型からは想像できないいい動きしてる・・・・きっと、日頃の喧嘩で

鍛えたんだろうけど、何だかすごいや・・・・・。

でも、ボクシングが一番好きなのは、本棚に並んだマガジンの人気漫画の

コミックスやポスターでもよくわかった。

「あははははは。遠慮しとく!でも、サインだけは貰っとくかな?」

というと、力丸はまた、ニヤリと口元を緩めて、

「いい心掛けだな、純!!」

と、いきなり僕の制服をまくると、こともあろうにマッキーの黒極太で、

お腹にでっかい字で、『西の力丸』って書くと

「よぉし!いいかぁ!?これ、一生消すんじゃねえぞお!?もし消したの分かったら

俺の必殺電気アンマだ!!」

とげらげら笑った。

むちゃくちゃだぁ、こいつ!!

 

                                    ・・・続 く

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