花のグローブ 少年チャーリーのボクシング青春記

その三 最後の試合


ハーイ チャーリーでーす  また僕の少年ボクシングのおしゃべり聞いてね

でも、本当は気が進まないんだ 僕は今つとめて明るく振舞っている. 心の中の傷を隠して

、つまり未来の僕が、成人した僕が負い続けているトラウマを忘れようとして、明るいチャー

リー、健康なチャーリーを演じているんだ。 僕にだって、いろんな事があったんだ。 本当

は暗い性格の少年なんだけど、このひけめを乗り越えるためには、演技をしてでも明るい健康

な少年らしく装う、いつのまにか身につけた生活の知恵なんだ。 ボクシングもそう。 だか

ら、僕はこの間から、屈託無くおしゃべりを続けているんだよ。


11月になった。 前の敗戦で受けたダメージも回復した。 いよいよ学校恒例の対G高校戦が

近づいて来た。 G高校は僕たちF高校とは関係が深く、仲がいい。 経営形態が違うから、姉

妹校ではないのだけれど、いろいろな面で交流している。 制服もよく似た濃紺の詰襟、この

ごろでは珍しいスタイルなんだ。 ともに所謂進学名門校で、つまり、お坊ちゃん学校、中高

一貫教育なんだ。 ちょっと違うのは、F高校が共学校なのに、G高校は男子校、別にG女子高校

がある。 1年に1回、各種スポーツの対校戦をやっている。 野球、バスケ、バレー、

蹴球(僕らはサッカーなんて軽薄な言い方はしないんだ)柔道、剣道、体操、陸上 などなど すご

く長い歴史のあるもので、伝統の一戦なんだ。 僕らはG戦というが、彼らはF戦という。 早

稲田と慶応が、早慶戦、慶早戦と言い換えているのと似ているでしょ。 毎年の対戦だけれど

、両校の意気込みはすごい。 特にボクシングのような、個人格闘技だと格別の思い入れがあ

って、選手はエキサイトする。 僕は出場選手に選ばれた。 普通だと、こうした伝統の一戦

には、新人が先輩を差し置いて出場することはありえないのだけれど、部員でモスキートは僕

一人だからね。 G戦出場は僕にとって実に名誉なことなんだ。 だから嬉しいんだけれど、

 少し気が重い。 それはね、僕には、G高校に一人親友がいる。 Yくん、僕と同じ高1、

15歳しかもボクシング部員なんだ。 身長体重もほとんど同じ、モスキート級。 Yくんすごく

いい奴なんだ。 家が近いんで、小学生のころからの仲良し、それにとってもかわいい。 男

の子の僕がみても可愛いって思うんだから。 彼はいい家の子でね、だけどちっとも威張らな

いし、優しい子だよ。 G高校にはこういう子がよくいる。 Yくんのお母さんは大変な美人だ

、 上品で、教養がありそうで、芸者だった僕のママとは随分ちがう。 試合の2週間前に選手

の発表があった。モスキートは、F高校が僕、そうしてG高校がYくん、やっぱり。 い

つも仲良しのYくんと戦うなんて、いやだなあ。 それからの2週間、僕らは会わない

ようにしていた。 この気持ちわかるでしょ。

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試合当日になった。 僕たちは早めに集合した。 この試合でF高校ボクシング部の年間スケ

ジュールは終了する。 3年生部員にとっては高校生活最後の試合、僕にとっては15歳の少

年の最後の試合ということになる。  試合会場はKボクシングホール。 両校とも練習場を

持っているけれど、狭くて観衆が入れない。 それで、使用料は高いけれど、ここを借りたん

だ。 まずウオームアップ、皆の肌が汗ばんだころ、開会式の時間になった。 ジャージを脱いで

、ユニフォーム姿で会場に入りリング上に横1列に整列した。足を少し開き、両腕を背中にま

わして腰の位置で組む。 自衛隊風の姿勢だ。 向う側のG高校選手と向き合う。 僕らは、

濃紫のシャツ、相手はやはりスクールカラーの樺色のシャツに校章の山桜の縫い取り。 モス

キートからライトまで6階級、両校合わせて12名の少年ボクサー、僕らの汗ばんだ肉体から

発散する若い体臭が周囲にただよい、これから展開する血と汗と拳の祭典への興趣が高まって

いく。 形通りの挨拶に続き、選手の紹介。 ひとりづつ名前と階級が呼ばれる。 一歩前へ

出て一礼、バンテージを巻いた拳を胸の位置でかまえてファイティングポーズ、その度に歓声

と拍手が起こる。 最後にお互いが歩み寄り、相手選手と両手で握手。 僕はYくんと。 Yく

んの握りが強い、僕をキット見つめる。 こいつ本気でやる気だな。 そっちがそうなら、こ

っちだって。 闘志が勃然と涌いてきた。 最後にコーナーに6人が集合、互いの肩に両腕を

まわし、身体をピッタリ着けて固く円陣を組む。 互いの体臭が混じり合い、皆の息遣いが揃

う。 不思議な連帯感と使命感が生まれる。 主将のFさんが叫んだ『さあみんな いいか 行

くぞ ファイトーー!』『エーーイ!!』 円陣を解き、皆リング下へ降りる。 

僕ひとりを残して、降り際に僕の肩や背中をたたき激励。『小杉 頼むぞ』『小杉 頑張れ』

極度の緊張と興奮で僕は何も言えない。 コーナーに座り、ヘッドギアーを被り、グローブを着

ける。 ヘッドギアー着用、12オンスグローブ使用、新ルールなんだ。 真新しいグローブ

がリングの中央に置いてあり、レフェリーから渡される。 新しいグローブは気持ちがいい。

 重さが変わって使いよさそうだ。 ただ、打たれた時の衝撃は前よりきつそう。 だから、

ヘッドギアーが義務付けられたんだ。 最後にマウスピースを口に押し込み、開始を待つ。 

胸の鼓動はいよいよ早くなる。 向う側のコーナーに座るYくんの姿が見える。 僕と同じ気

持ちなんだろうな。 レフェリーがポンと手を叩き両者を呼ぶ。 リング中央で向き合う二

人。 睨み合う二人。 Yくんの息遣いが目の前に、彼の体臭が鼻をうつ。 Yくんも顔を剃って

いない。 口のまわりには産毛がぼうぼうと生えている。 口からマウスピースが白くのぞい

ている。  僕も同じだ。  互いにグローブを合わせて試合前の挨拶、Yくんのグローブがや

けに強い力で僕のグローブを押す。 僕もまけずに押し返す。 こいついつもと違うな。 コ

ーナーに戻り遠くから睨みあった。 さあいよいよだ。 ホイッスル、それに続いてゴング、

二人は勢い良く飛び出した。 軽くグローブをまわしながら、右回りで相手の隙を窺う。 

バッ・・・・Yくんの右が僕の顔面を襲う。 僕は頭を傾けてそれをかわす。 今度は僕、同じ

く右で彼のジョーを狙う。 これも当たらない。 互いにジャブの応酬、続いてストレート攻

撃、二人とも有効打をとれない。 シ、シ、・・・シシ、シ・・・激しい息遣い、パンチが顔

をかすめる。 突然、Yくんの左フックが僕の右のコメカミに命中した。 グラッとくる。 

目の前に火花が散った。 しまった。 立ち直る間もなく、強烈なストレートが僕の鼻に、痛

い・・・・鼻血がほとばしる。 僕の弱点なんだ。 休む間もなく、ワンツー、ワンツー、ワ

ンツー・・・・すべて出血した鼻を目掛けて。 畜生、オレの弱点を知っての狙い撃ちだな、

きたねえぞ。 カッとなる僕、しかし、Yくんは容赦なく攻めてくる。 『小杉、頑張れ、フ

ァイト』『Y,効いてるぞ 鼻狙え、鼻』・・・・両陣営から声がかかる。 そこへまた、Y

くんの強打、たまらず後退する僕。 ロープ際に追い詰められた。 足が利かない。 逃げら

れない僕。 Yくんはそこへ連打を浴びせる。 必死で応戦する僕。 一発返せたがあとが続

かない。 ついにロープにもたれかかり、半身を外にのけぞらせる。 ロープダウンをとられ

た。 もたれたままの僕の鼻から鮮血が糸を引いた。 どよめく観衆、女子が悲鳴をあげる。

 もう駄目か、なにくそ、まだ戦える。 よろめきながらロープを離れ、膝をガクガクさせな

がらファイティングポーズをとる。 その時、ゴングが鳴った。 コーナーに倒れこむ僕、完

全な劣勢だ。 セコンドの懸命な手当て、アドバイス。 『ウー、ウー、ウウー』野獣のよう

に唸りながらうなずくだけの僕。 続く第2ラウンド、Yくん優勢のままに終始した。 あい

つこんなにボクシング強かったのか。 すごい闘志とスタミナ、僕は圧倒されかけている。 

でもどうにか倒されないですんだ。 2分間、僕は持ち味のインファイトで抵抗した。 執拗

な接近戦にYくんはてこずり、手数は徐々に減っていった。 そうしてラストラウンド、開始

早々、僕のラッキーパンチがYくんを捉えた。 突進してくるYくんを体を開いてかわし、右

を彼のボデーに叩きこんだ。 『グフッ・・・・ウ、ウ、ウ』Yくんのうめき声、身体を折り

、前のめりに。 やった!と思った、しかし、倒れない。 すごい耐久力だ。 しかし、足は

止まっている。 そのYくんの顔面に、2発、3発。 Yくん鼻血を吹く。 これでおあいこ

だ。 さらに浴びせるパンチ、Yくんたまらず組みついてくる。 からみあいながら、ロープ

際に押し付ける。 苦悶するうめき声、きしむロープ、激しい呼吸、二人とも血だらけの顔を

押し付けあって、さらに執拗なボデー攻撃。 Yくんの血と唾液でくちゃくちゃになったかわ

いいお口、そうしてそれに似合わない強い口臭、こいつこんなに口が臭かったかな。 強い口

臭はボクサーの宿命なんだ。 僕だってそうだ。 ボクサーは試合前には何も食べられない、

そのうえ試合中はどうしても口の中は唾でいっぱいになる。 その口へ目掛けてパンチを一発

、決まった、唾液が飛び散った。 大喚声の中、両者の死に物狂いの殴り合いが続く。 つい

に試合終了のゴング。 しばらくは、二人とも組み合ったまま動けない。 ようやく離れた二

人、Yくんがポーンと軽く僕の肩を叩く。 コーナーに戻り、ヘッドギアーを脱ぎ、グローブ

も外してもらう。 グローブの下のバンテージは汗でグチャグチャだ。 吐き出したマウスピ

ースも唾液と血にまみれている。 なかなか判定が出ない。 集計用紙をレフェリーが集めて

チェック、リング下中央の放送席に渡す。 どうなったろう、逆転できたかな。 『勝者赤コ

ーナーY!』いっせいに飛びあがるG高校側、F高校側からはため息が。僕はがっくりと肩を

落としうなだれる。 だめだ負けた。 Yくんの手があがる。 僕は気をとりなおして彼に歩

み寄る。 両手を出して握手、急にこみあげるものがあり、僕はYくんに抱きついた。 Yく

んも。 二人は抱き合い、血だらけの顔で頬ずりしあった。 Yくんの口から嗚咽がもれた。

 泣いているんだ。 僕も同じように。 Yくんの汗の匂い、ひどく男臭かった、僕も同様だ

ったろう。 周囲からは惜しみない拍手が。 レフェリーが小声で『さ、もういいだろう、下

におりてやすみなさい』リングをおりると皆が駈け寄ってくる。 『小杉、よくやった。 ナ

イスファイト!』また涙が溢れてくる。 『ごめん、オレ負けちゃった』号泣する僕。 控え

室に戻り、呼吸を整える。 次の試合が始まったようだ。 シャワールームへ行き全身を洗う。

 汗と血がこびりついた髪を洗い、ドライヤーをかけた。 全裸の身体の腰にタオル

を巻き、もう一枚を肩にかけて廊下に出た。 そこでYくんに会った. Yくんも同じ格好だ。

 Yくんはもとの優しい表情に戻っている。 荒々しい男臭さも消えて, 初々しい

少年の香りが。 『おい小杉、大丈夫か』『ああ、だけどお前強いなあ、 オレ完敗だよ』

『そんなことないさ。 お前のラストのボデー効いたよ、あそこで倒れたらオレおしまいだっ

た』 Yくんと分かれジャージに着替え、会場に戻った。 試合は第4試合バンタム級。 

F高校は僕に始まって連続3つ星を落とした. もう後がない。 バンタム級は主将のFさん。 

主将が奮起した。 強打のアウトボクシング、敵をノックアウトに屠りここで1勝。 次のフ

ェザー級でも勝ち、とうとう最後の試合。 ライト級、選手は3年のIさん。 これがIさん

のF高校での最後の試合になるんだ。 重量級らしい凄まじい戦いとなった。 両者血しぶき

をあげての凄惨な試合展開、強打の倒し合い、スリリングなノックダウンの応酬となった。 

そうして遂に、相手選手が力尽きた。 膝から崩れキャンバスに沈む. カウントアウト! 

やった! 追いついた3対3イーブンだ。 僕らは躍り上がり、抱き合って泣いた。 そして

閉会式。 僕ら6人は応援席の前に整列して頭を垂れる。 校歌と応援歌の斉唱、僕らは胸が

一杯で歌うことができない。 拳で目頭をよこなぐりにして嗚咽するだけ。 終わったんだ。

・・・・・・・・  興奮から醒めて、皆それぞれに帰って行く。  ボクシング部員も、

ジャージを脱ぎ、制服に着替えて家路につく。 F高校はこんな時、ジャージやユニフォームで

街を歩くことを許していないんだ。 だって、公式行事だものね。 水道橋のホームで、また

Fくんに会った。 いっしょに帰宅の道をとる。 でも、話すことは何もない。 制服姿に似

合わない二人の傷ついた顔、乗客の好奇の視線が注がれる。 いやだなあ。 腫れた瞼、唇、

ほっぺた それから・・・・ 襟のボクシング部員バッジを見て、納得したような表情となる。

 知らないおじさんが声をかけてきた。 『君たちボクシングか 試合だったのかい』

『ハイ』『随分がんばったんだね』『ウフフ・・・』

電車を降りて家の近くまで肩を並べて歩く。 別れ際にYくんが『ね、またやろうよ』

『うん、来年だな、今度はオレが勝つからね』

『そうはいかないさ、この次は本当にぶったおしてやる』『あははは・・・』笑いながら、手

をふって分かれた。 それなのに、1ヶ月後、あんな事になろうとは。 僕らは再び戦い、僕

はYくんにぶったおされた。 そうして、悲しい分かれが・・・・・・・

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G高校戦がすんで、ちょうど1ヶ月ぐらい後、僕らが16歳になったころ、僕とYくんとは

仲たがいした。 大喧嘩になっちゃったんだ。 どっちが悪かったかって、うーん そうだな

あ 両方だなあ。 後で考えると、原因はつまらないことなんだ。 でも、世間知らずでお坊

ちゃん育ちの僕とYくんには解決できなかった。 僕はひとつ秘密を持っていた。 それをYく

んには話さなかった. あんなに仲が良くてなんでも話していたYくんにだよ。 ところが、Y

くんも僕に話さない秘密があったんだ。 これがお互いにバレた時、重大な裏切りだ

と思いこんでしまったんだ。 二人の間に深い溝ができた。 

本当に僕たちは仲のいい友達だった。 犬ころのように転げまわって遊んだ小学生のころ、

宿題の教えっこをしたり、個室にこもって冒険小説を読んだり、二人でハイキングにも行った。

 お小遣いを出し合って映画も見たし、あこがれのロックコンサートにも行ったんだ。 それ

から、それからね、もっと悪いことを親にかくれてこっそり、個室に鍵をかけて、学校で借り

てきたポルノ雑誌をドキドキしながら見たこともある。 一番悪かったのは、言うの恥ずかし

いなあ。 やはり個室に鍵をかけて、あれは中3の時だ。 二人のあそこを、分かるでしょ、

見せ合い、比べ合った。 でも、言い出したのはYくんなんだよ。 Yくんの通っているG校

は、男子校で、変な秘密の伝統があった。 男の子は13歳ぐらいになると下腹部に發毛する。

 僕もそうだったけれど、恥ずかしくて隠すようになる。 だから、みんなやるんだ。

 なるたけ、おとなしそうな、力の無さそうな奴を選んで取り押さえ、ズボンやパンツを剥ぎ取る。

つまり検査をするわけさ。 やられた子はたいてい泣き出す。 でも、立派に生え揃っ

てる子は、それから大きな顔ができる。 そうじゃない子は・・・かわいそうに。 

これを〈毛見〉って言うんだって。 なんて品のないことばだろう。 Yくんも当然やられている。 

なにしろかわいい子なんだから。 F校にはこんな野蛮な習慣は無い。 こっちは共学だから

ね。 そのYくんが僕の個室に来て言うんだ。 『ねえ、君どうなの? 見せっこしようよ』

僕は驚いたが、何しろ親友の言うことだもの、すぐ承諾し実行した。 二人ともまあまあの發

毛だった。 ついでにペニスの長さも比べてみた。 これはYくんの勝ちだった。 だけど、

こんな事いっぺんきりだぜ。 こういう親友のYくん、なんでも話し、相談し、したり、され

たり、秘密なんかなんにも無いはずの二人が隠し事を持っていた。 怒るの当たり前だよね。

 しかし僕らは解決することができなかった。 これまでにも、とにかく長い付き合いなんだ

から、喧嘩は何遍もしている。 つかみあい、取っ組み合い、そして殴り合い、でもすぐ仲直

りした。 殴り合いのあと、出た鼻血を二人でティッシュで拭きあったこともある。 しかし、

今度ばかりは違った。 土曜日の夜、暗い公園のベンチで長いこと話し合った.

 結論が出るはずもなかった。 とうとう僕らは腕力で、拳で決着をつける羽目になった。 こんなことをし

ても、解決にはならないことは分かっている。 しかし、これ以外に方法は無かったんだ。

 先に手を出したのはYくんだった。 話がこじれてきたなと思ったとたん、急に激したYくん

の強烈なパンチが僕の左目を急襲した。 すごく痛かった。 たちまち僕の左目の下は腫れあ

がった。 こうなったら、僕もだまっちゃいない。 『チイー やったな 貴様 やるか』僕

は着ていた私服のスタジャンを放り投げ、素手で拳を固め身構えた。 Yくんは、はじめ

しまったと後悔したようだが、僕の態度を見て覚悟したらしい。 やはりシャツだけになって、同

様に身構える。 もうあとにはひけない。 少年同士の決闘が始まった. 薄暗い公園灯に

照らされた芝生の上で僕らは激しく殴り合った。 少年でも僕らはボクサーだ。 素手のナッ

クルの衝撃は強い。 僕らはお互いに傷つけあい、倒しあった。 Yくんは僕のストレートで

前歯を折った。 鮮血が口からあふれ出る。 それでもYくんはひるまない。 固い石のよう

な拳が僕の胃をえぐる。 たまらず僕は膝を折り前に崩れる。 胃液が突き上げてくる。 そ

れを見下ろすYくん。 あのやさしかった目に憎悪の光をたたえ、拳を固めたまま。 胃液が

滝のように僕の口から芝生に流れ、僕は意識を失った。 気がつくと、僕とYくんは芝生に座

りこみ向き合っていた。 ぶったおされた僕をYくんは助け起こし座らせたんだ。  彼の目

から、もう憎悪の光は消えている。 Yくんはやさしく僕の肩に手をかける。 その手を邪険

に振り払う僕。 しかし、Yくんは再び悲しそうに手をかけてくる。 僕は思わずYくんにか

じりついた。 Yくんはしっかりと僕の背中を押さえた。 二人は嗚咽した。 しばらく泣い

た後、ぼそっとYくんがいった。 『なあ小杉、俺たちもうお終いかなあ』『そうかもなあ』

『俺、本当に馬鹿だったよ』『俺だって』・・・・・・Yくんはひょろっと立ちあがり、自分

の皮ジャンを羽織ると、クルリと背を向けてよろめきながら去って行った.  後を振り向かな

かった。 僕は涙でかすむ目で公園を出ていくYくんを見送った。 Yくんの姿が消

えるとき、僕は小さな声でつぶやいた。 『Y,さよなら』 ぼくは芝生に突っ伏して声をあ

げて泣いた. 家に帰ると、ママはぼくの顔の傷を見て驚いたようだったがなにも言わな

かった。 Yくんと喧嘩になったことを察したんだ。 僕は黙ってそのまま二階にあがり寝てしま

った。 次の日の朝、パパとも顔をあわせたけれど、やはり何も言わなかった。 きっとママ

が報告したんだ。 表面的にはYくんと仲直りして、それからも会ったし、口も聞いたけど、

なんとなくよそよそしかった。 会う回数はだんだん減り、とうとう行き来は無くなった。 

僕はボクシングをやめちゃった。 あんなに好きだったのに。 ぼくが退部届を出すと、なに

しろ僕とYくんとの死闘はボクシング部の語り草になっていたから、皆驚き、惜しみ、引き止

めた。 しかし、僕の決意は堅かった.  だって、ボクシングやっていると、Yくんのこと思

い出すもん。  受験準備はいい口実だった。 なにしろ受験校だからね。 退部は

すんなり認められた。 他校と違い、リンチに会うことも無いんだ。  それからの僕は本気

で勉強した。 成績はぐんぐんあがった。 先生があきれるほどだった。 なにしろ体力には

自信がある。 徹夜の1回や2回なんでもないんだよ。 とくに得意の国語や社会では全校一

になるのはたやすいことだった。 しかし、不得手の数学は・・・やっぱり芳しくない。 

パパとママは単純に喜んでる。 『おいママ、チャーリーはどうしたんだろうな、どいう心境の

変化かな、あの子がこんなに勉強が好きだったとはなあ。 これならT大の夢じゃないぞ。 

法学部に入れてワシの後を継がせる、ワシの地盤はみなあの子のものだ。 これで小杉家も安

泰だ。 よかったなママ』『そうですわねえ、私も安心しましたわ パパ』でも、そうはなら

なかったんだ。 世の中そんなに甘くはない。 僕はT大にはいれなかった。 不得手の数学

が最後まで響いたんだ。 不合格が分かったとき、パパはひどく怒り、ママは泣き出した。 

妹のシーリーももらい泣きしてしまった。 ぼくはしょげこんだが、すぐに許してもらえて、

もうお前が好きなことをやればいい。 やっぱり親はありがたいよ。 浪人して、T大再挑戦

の気はさらさらなかったんだ。 僕はG大にはいることになった。 T大の発表は3月20日

ごろで、ここまでくると受験できるところはそうはない。 僕はあわてたが、幸いこの年はG

大はどういう理由か補欠募集をしたんだ。 僕はそれを知り、かけずりまわって書類を1日で

作り、出願した。 試験日まであと3日だった。 僕は2日間だけ準備をして試験に臨んだ. 

入試問題を見てびっくりした。 G大には悪いけれど、そのやさしいこと。 苦手の数学・理

科でも、これはどっかに落とし穴があるんじゃないかと深刻に考えたくらいだ。 とにかく理

学部に合格したんだ。 どうして嫌いな理数系なのかって? そりゃあそこしか募集してなか

ったんだよ。 G大は例のG高校の上にのっている大学なんだ。 皆さん気がついたで

しょう。 Yくんはどうしたって。 入学式の日、ぼくは恐る恐る会場の中でYくんの姿を探した。

しかし彼の姿はなかった。 YくんはT大に入ったんだ. Yくんはボクシングが強いだけじゃ

なく、すごい秀才なんだ。 つまり僕は何をしてもYくんにはかなわない。

G高生はよほどの事がないかぎりG大に入学できる。 ところがYくんはその特権を棄てて

T大を受験したんだ。 大人になった未来の僕のことお話しましょうか。 僕は化学者になっ

た。 大学の先生になったり、いろいろしたけれど、いまではフリーライターで落ち着いてい

る。 いや本当はフリーターと言った方がいいかな。 僕がボクシングが好きなこともう誰も

しらない。 Yくんともたまには会うけれど、 ボクシングの話はしたことがない。 そうそ

う、秀才の彼はT大から公務員になっている。


さて、これで僕チャーリーのおしゃべりはお終いです。 どお、おもしろかった? え、つま

らないって。 うーん そーかー。 でも僕は楽しかったよ。 このあと、大人の僕が昔を思

い出して少年ボクシングのお話をすると思います。 そのときはよろしくね。 また会いまし

ょう。


じゃーね バイバーイ


(終わり)