「消えた??チビッコ・ボクシング大会」
DIV(5) <Another Satyros>
リングへと昇りはじめたサッカーパンツの美少年を見つめながら、私は出来損ないの神話をこしらえようとしていました。なぜなら、彼は大人達が仕組んだ拳闘場に飲み込まれていく運命なのですから。
目の前に近づく……子羊を抱えた少年の幻。
少年はおずおずと神の従者に告げる。角をはやした下半身だけ山羊のような魔物に。
「神様に奉げものを……」
「本当に愛らしいものを奉げたいのか?」
不気味な笑み。
「う……」
少年の後ずさりを半獣は見逃さない……。
あまりに安易なイマージ。使い捨ての約束……。
リング・ロープに腰を落としたコーチが一瞬、ふっ! と微笑んだ気がしました。白いロープをくぐる少年。ぎこちない動作。
緊張がつま先まで滲んでいます。
リングに上がる少年の痩せた肩が、コーナーマットに“ぱうん!”ともたれた時、彼は初めて……。初めて闘うべき相手の姿を目にしたのです。
本当に同じウエイト・クラスなのか?
疑いが入るほど、肩幅が一回り違う相手! コスチュームはリボンを除いて、パンツからシャツまで光沢のきつい赤。ランニング・シャツが鍛えた胸襟を誇っていて。
全身で軽くステップしながら、黒いヘッドギアを幾度もクイッ、クイィ!と曲げています。
……明らかな試合慣れをしている様子でした。
加えて……。彼もサッカー少年に張り合えるほどの凛々しい顔つきをしています。
浅黒い肌に負けん気が強そうな鋭い目つき。滑らかな頬と対照的にきつく締まった唇。逆コーナーのサッカー美少年を時々「キッ!」と睨みつけています。
<これは……期待できるかも……>
何の期待?
それは、あなた自身もよく知る欲望と同じく……。
言い訳がましく蝶ネクタイを直しながら、ジャッジの手が振り上がりました。
リングの中央に集められたボクシング少年たち。
最初の遭遇は、見上げる私が覚えていないほど、あっさり終わったような気がします。
漫画ならここで、視線を絡ませて挑発の台詞も言えば決まるのでしょうが、現実のリングには、そんな叙情性など虫けらの価値もありません。
二人ともジャッジの話を聞いてない。これは赤シャツ君もサッカー少年も同じでした。
が、違っていたのは、自陣に戻ってからの動き。
赤シャツ君はトップロープを握り余裕の屈伸。そして、グローブでコーナーマットを軽くなぶる……。精神を集中させるような……。
対するサッカー少年は、コーナー外から厳しいゲキを飛ばすコーチの一言ごとに返事を出すのに精一杯で……
「はいッ! ……ハイ!!」
張り詰めた背中と甲高い声が、彼の緊張レベルを教えてくれます。
ヘッドギアに包まれたハンサム君の甘いマスク。清らかで大きな瞳。これから始まる容赦ない“殴り合い”の餌食になってしまうのでしょうか??
サッカー少年の小ぶりな口にマウスピースが、ぐにゅ! と押し込まれて……。
<い……一回目。>
唐突に素っ気ないアナウンス。
ゴングです!
元気よくサッカー少年が飛び出したのはいいのですが……。
それを上回るダッシュ力で始まりを制したのは赤シャツ君でした。
「グシャ!!」
いきなりのストレートをサッカー少年の端正な顔に叩き込んで!
続いて左右の連打もヒット。サッカー少年もパンチを繰り出そうとするのですが、まるで捕まえられたカブト虫のように空を切るだけ。
この動揺を赤シャツ君が見逃すはずもありません。
練習を積んだフットワークでかわすや、サッカー少年に連打の嵐を浴びせます!
キュキュツ!!
美少年ボクサーのシューズが崩れるように後退。真っ白なサッカーパンツがロープに弾んで!
容赦なく追い詰める赤シャツ君。コンビネーションがハンサム少年の整った顔を台無しに!
「押せ押せ!」
「追い込め、一気だあ」
館内蒼然。興奮しきった怒号の錯綜が、赤シャツ君とロープに挟まれたサッカー少年を攻め立てます。
<逃げろ……。なんとか……。>
見上げるだけの私は声も出せません。ボクシングの“ボ”の字も技術的なことは何も思い浮かばない私。
辛うじて腕を立てて、この猛攻に耐えているサッカー少年の窮地を凝視しているだけです。
「足だ、ばかやろう、回るんだ!」
マットの端をバシバシ叩くサッカー少年のコーチ。
連続のラッシュに、さすがの赤シャツ君が手をゆるめた瞬間、サッカー少年はようやくロープ際の地獄を脱出しました。
しなやかに伸びた足に三本線のサッカーパンツが揺れています。
が、反転した赤シャツ君にまたも逆サイドに押しこまれて! 赤シャツ君との体格差はどうしようもないハンデでしょう。
おまけにリズムという武器も、フットワークという戦術も十分でないサッカー少年は、あがきのようなパンチを繰り出すだけです。
「ンしゅ……! ……ュ!」
サッカー少年のパンチは、赤シャツ君のグローブやヘッドギアにしか当たりません。ほとんど赤シャツ君の巧みな……先ほどの中学生とも互角にいけそうな……ガードと足裁きにかわされて。
一方的な試合展開はほぼ決定。
で……、そうだとすると……。
欲望の視線がリングサイドに引き寄せられていきます。
「三っうーー!」
赤シャツ君サイドの子どもたちの叫び。
それと共時する赤シャツ君のグローブが、ワン・ツー・スリーを見事にサッカー少年の顔面に決める! 小学生とは思えない正確なヒット。
一方的な攻め……いや、“責め”になぶられるサッカー少年。
それを面白がるように、再び「ふたつツウウ、いけーー」と言う叫びと共に、俊敏に角度を変えた赤シャツ君のグローブが!
<バビッ! ッビ!>
棒立ちのハンサム君に“責め苦”の雷を撃ち込んで!
「XXX!」
突然、ジャッジが何を叫んだのか、分からないほどの歓声と怒号。
“ストップ”の合図に、蒸し暑い体育館の空気は明らかに暴発寸前です。
彼は? ロープからロープへ……自慢の足を惨めな敗走にしか使えなかったサッカー美少年は??
<は……ハアっ。はあ……。ンっ!>
聞こえないはずの苦しそうな呼吸が、私の耳で鳴り響きます。
顔は。古の彫像のような柔和さを備えたマスクは……。
可愛い口元が鼻血で惨たらしく染まっています!!
遅すぎたストップのジャッジメントをごまかす乳白のハンカチ。
ヘッドギアに包まれたサッカー少年の鼻先を軽くぬぐって。
さっきまでの歓声は一瞬のミュート状態を楽しみます。
身をかがめて何やら囁く審判に、サッカー少年は強固なスポーツへのプライドだけで反応しました。か弱い腕には不釣合いに大きいグローブを何度も振り立てて!!
「ふッ! ……ふ……イ!」
(噛み潰された幼い返事。苦しそうなマウスピースから漏れ届く呼吸音。これを聞いたのは私の幻でしょうか。)
わずかな間さえ与えず、いんぎんな蝶ネクタイが宣告します。
「ボックス!」
白色のコーナーマットに背を任せていた赤シャツ君のリングシューズがうなりを上げてダッシュ!
目指すは、やっと光沢のグローブを振り上げたばかりのサッカー少年の顔。
加速を得たパンチが、ブロックの準備もできないサッカー少年の真正面を捉えて!!
……少年たちの1ラウンド、2分はまだ半分も終わっていません。私がその光景を数十分間と錯誤した愚かな感覚は……嘲笑の対象になるのでしょうか?
薄っぺらなイマジネイション。でっち上げの神話……。
安易な神話には続きがあった。
魔物は重厚な鈍器で子羊を叩き落とす。
「私がニンフだけが好きと誰が決めたのだ?」
逃げ去る灰色の子羊。
怯える少年は逃げ出す間も与えられないまま、細い手首をいきなり掴み上げられる。
「おまえのような少年は絶好なのだよ。ご主人様たちの宴を華やかにする“子供の拳闘”ではね! 特に……」
舌なめずりの残酷な笑い。
「責め苦に耐える顔がね。そこで……悦楽を感じるのは、あまえ自身なのだよ。おまえの喘ぎ苦しむ姿こそが真の奉げものなのだ!」
私は……。
あどけない勇気と闘志をかける少年が、苦しみ喘ぐ姿に興奮するというのか? そんなはずはない。そんな悪魔のような心を持つはずが……。
しかし、私の足はリングサイドに近づいていました。焼け焦げるのを知りながら、誘惑に負けてしまう夜の虫たちのように。
私の中で魔物の殻が突き破れました。偽善のような殻にもがき、それを払いながら。
(DIV6につづく)
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