キックの女王という階段を、着実に登りつつあった熊谷。
その陰には、女子のもう一方の双璧として、ときには立ちはだかり、ときには心の支えとなった藤山の姿があった。
しかし、ついに二人に別れの刻が訪れようとしていた。
時に、阪神淡路大震災からわずか2週間後の1995年1月31日。所は、大阪府立体育館。
このとき、藤山の地元の尼崎は震災の爪痕も生々しく、夜間熟睡できなかったという。
最後の拳を交える両者。そして万感の思いを込めて鳴り響く試合終了のゴング。
二人は、名残惜しそうに、何度も抱き合うのであった。
この後、藤山は心身の限界を感じて現役を引退。
熊谷は次なる高みを目指し、唯一人、伝説の階段を登り続けた。