藤山との再戦に敗れてからわずか3週間後、 熊谷は米国・ラスベガスで、WKAムエタイフライ級王座決定戦に臨んだ。 敵地、藤山戦のダメージ、そして、熊谷を侵しつつあった「拒食症」・・・。 何一つ有利な材料が見当たらない中、しかし熊谷はこのラストチャンスに全てを賭けたのである。 そして熊谷は、見事それをモノにした。 時に、1992年11月14日。「キックの女王」誕生の瞬間であった。